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一冊の小説に魂を揺さぶられたことはあるか?ーー映画『ノクターナル・アニマルズ』評


グッチ、イヴ・サンローランなどの世界的ファッションデザイナー、トム・フォードが監督した映画『ノクターナル・アニマルズ』を観た。ぶっ飛んだ。

ストーリーはこう。エイミー・アダムスが演じる金持ちアートディーラーのもとに、元夫(ジェイク・ギレンホール。彼が出る映画にハズレなし)が書いた小説が届く。20年前に自分が棄てた夫が何を今更?と彼女は訝しる。しかしそれは衝撃的なストーリーだった。

真夜中のハイウェイをドライブ中の主人公(ジェイク・ギレンホールが二役)が、ホワイトトラッシュの車に進路を妨害され、煽られてーー最近、日本でも似たような事件がありましたねーー妻と娘を拐われてしまう。

刑事役のマイケル・シャノン(本作でアカデミー賞助演男優賞ノミネート)の助けを借りて、ジェイクはクソ野郎への復讐を誓う。

まるっきり地にしか見えない、人間のクズに扮するのはアーロン・テイラー=ジョンソン。彼こそ本作のMVP。あとでパンフレットを見たら『キック・アス』のオタクの子と知って腰を抜かした。

『ノーウェアボーイ  ひとりぼっちのあいつ』で若き日のジョン・レノンを演じ、同作の23歳年上の女性監督と結婚。前夫との間にできたティーンエイジャーの息子とも友達という、プライベートでもめっちゃいいヤツだ。とにかく本作はいい役者しか出てこない。トム・フォードの審美眼が光る。

閑話休題。エイミーは小説にぐいぐいと引き込まれ、胸が掻き立てられる。何一つ不自由ない生活を送っているが、虚しさに押し潰されそうな彼女は、気弱だった元夫が描く、暴力的だが野性の生を獲得している小説に目が醒める。一冊の本物の芸術と対峙して、自分がやっていることは脂肪まみれのアートもどきと目を開かされる。

エイミーは元夫と会う決意を固める。そして、どこまでも余韻を残すラストが待ち受けているーー。

本作のテーマ自体は新しいものではない。主人公が現実より虚構の世界にリアルを感じるのは、古くは江戸川乱歩が「うつし世は夢、よるの夢こそまこと」と書いたように、近年でも『トータル・リコール』『インセプション』などがある。ウディ・アレンの『カイロ紫のバラ』はスクリーンと現実の区別が付かなくなる。いつの世も残念な現実から目を逸らしたい人は多い。さしづめ今だと、匿名をいいことに、インターネットでネトウヨや無双キャラになる人たちがそうだろう。

原作はオースティン・ライトの93年の小説『ミステリ原稿』。序盤から終わり方までストーリーはほぼ同じだが、トム・フォードは映画化にする際、細かい設定を変えている。

主人公のエイミー・アダムスをコミニティーカレッジで教えている平凡な主婦からアートディーラーに、2番目の夫を高名な心臓外科医から金の工面に忙しいゲス実業家に。他にも小さな子供3人を成人した娘にするなど、変更箇所がミソだ。

8年前の監督デビュー作『シングルマン』で、中年ゲイ教授のセンチメンタルを描いたトム・フォードは、富と名声と彼氏と、何一つ不自由ない世界に身を置きつつ、『ノクターナル・アニマルズ』でエイミー・アダムス演じる主人公に自らを重ねた。

トム・フォードは観客に告発する。

上流階級に生まれようと、アートの栄華を極めようと、おまえの虚しさを慰めることなどできない。ましてやおまえの人間としての価値とは関係ない。怒りと復讐を込めた一冊の小説に、魂が揺さぶられたことはあるか? それこそが人間の価値だと。

ソフィア・コッポラ監督の『ロスト・イン・トランスレーション』を想起せずにいられなかった。「ソフィアはお父さんから家族までみんな親日家」と信じ込んでいた自称友達は、年増のコールガールや、カラオケボックスでしかハメを外せないなど、マヌケな日本人を映し出されてソフィアの本心を見た気になり、居心地が悪くなったに違いない。ソフィアは監督デビュー作『ヴァージン・スーサイド』の一発屋かと思われた後、本作でアカデミー賞で最高の有望株に贈られる最優秀脚本賞を受賞し、大きく飛躍した。

『ノクターナル・アニマルズ』にハイセンスな衣装や美術を求めた人は驚愕し、トム・フォードの底意地の悪さに息を飲むだろう。それこそ彼の帝国に群がるスノッブはどう感じただろうか。

本作は元夫から別れた妻にではなく、トム・フォードから虚栄の市の住民に叩き付けた壮大な復讐劇なのだ。


初出『フリースタイル 37』より。

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