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第1200回 枕草子の中の野鳥

①http://digibirds.hatenablog.com/entry/20120221/1329750246より引用の枕草子の時代の「雀」はニュウナイスズメ

   ⑴  鳥は、異所のものなれど、鸚鵡(オウム)、いとあはれなり。人の言ふらむことをまねぶらむよ
→鳥は、異国のものであるが、オウムが、とても可愛い。人の言葉をまねるという
⑵  ほととぎす  くひな  しぎ  都鳥  ひわ  ひたき→ホトトギスクイナ、シギ、ユリカモメ、ヒワ、ヒタキ (も良い)
⑶  山鳥、友を恋ひて、鏡を見すれば慰むらむ、心若う、いとあはれなり。谷隔てたるほどなど、心苦し。→ヤマドリは、友を恋しく思って、鏡を見せると慰められる。心が若くたいそう心にしみる。谷を隔てて離れているときなど、気の毒だ。
⑷  鶴は、いとこちたきさまなれど、鳴く声雲居まで聞こゆる、いとめでたし。→鶴は、とても仰々しいようすであるが、声が宮中まで聞こえるのは素晴らしい。
⑸  かしら赤き雀。斑鳩の雄鳥。たくみ鳥。→ニュウナイスズメ(オス)、イカル(オス)、ミソサザイ

②http://makura.choice8989.info/main/makura41.htmlより引用の枕草子のウグイス

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   ⑹  鷺は、いと見目も見苦し。まなこゐなども、うたてよろづになつかしからねど、「ゆるぎの森にひとりは寝じ」と争ふらむ、をかし。→サギは、本当に見た目もみっともない。目付きなども厭で、親しみを持てないが、「ゆるぎの森にひとりは寝じ」と、妻争いをするというが、そこが面白い。
⑺  水鳥、鴛鴦いとあはれなり。かたみにゐかはりて、羽の上の霜払ふらむほどなど。→水鳥ではオシドリに心惹かれる。互いに居場所を代って羽の上の霜を払うなど趣がある。
⑻  千鳥いとをかし。→チドリも趣がある。
⑼  鶯は、文などにもめでたきものに作り、声よりはじめてさまかたちも、さばかりあてにうつくしきほどよりは、九重のうちに鳴かぬぞいとわろき
ウグイスは、詩などにもすばらしいものとして作り、声を始めとして、姿かたちも、あれほど上品でかわいらしいわりには、宮中で鳴かないのが良くない。
⑽  人の「さなむある」と言ひしを、さしもあらじと思ひしに、十年ばかりさぶらひて聞きしに、まことにさらに音せざりき。→人が「そうなのだ」と言ったのを、そんなこともあるまいと思ったが、十年ほどお仕えして、全く声がしなかった

③http://zepsakanaya.sakura.ne.jp/birds2_txt/170226_miyakodori_02.shtmlより引用の枕草子の都鳥 ミヤコドリ

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   (11)  さるは、竹近き紅梅も、いとよく通ひぬべきたよりなりかし。→そうとはいえ、竹に近く紅梅もあり、(ウグイスが)具合よく通ってきそうな                                (12)  まかでて聞けば、あやしき家の見どころもなき梅の木などには、かしがましきまでぞ鳴く。→退出して聞くと、粗末な家のつまらない梅の木などにはやかましいくらい鳴く。
(13)  夜鳴かぬもいぎたなきここちすれども、今はいかがせむ。→夜鳴かないのも寝坊な感じがするが、いまさらどうしようもない。
(14)  夏・秋の末まで老い声に鳴きて、「むしくひ」など、ようもあらぬ者は、名をつけかへて言ふぞ、くちをしくくすしきここちする。→夏や秋の終わりまで盛りを過ぎた声で鳴いて、「虫食い」などと、品の無い者は、名を付け替えて呼ぶのが、残念で不思議な感じがする。
(15)それもただ、雀などのやうに常にある鳥ならば、さもおぼゆまじ。春鳴くゆゑこそはあらめ。
→それもただ、スズメなどのようにいつもいる鳥ならば、そうも感じないだろう。春に鳴くからなのであろう。

④https://note.com/hiho2351/n/ne98285d57102より引用の枕草子の鳶と烏

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   (16)  「年たちかへる」など、をかしきことに、歌にも文にも作るなるは。→「新年になる」などと、趣深い鳥として、和歌にも詩にも作るということである。
(17)  なほ春のうつならましかば、いかにをかしからまし。→やはり春の間だけだったならば、どんなに趣深いことだろう。
(18)  人をも、人げなう、世のおぼえあなづらはしうなりそめにたるをば、そしりやはする。→人についても、人並みでなく、世間での評判も低くなり始めた人のことを、非難するだろうか。
(19)  鳶・烏などのうへは、見入れ聞き入れなどする人、世になしかし。→トビやカラスなどについては、注目したり、聞き耳を立てたりする人は、世の中にいないもの。
(20)  されば、いみじかるべきものとなりたれば、と思ふに、心ゆかぬここちするなり。→だから、素晴らしいはずのものとなったから、と思うにつけて、納得できない気持ちがするのだ。

⑤https://www.google.co.jp/amp/s/gamp.ameblo.jp/anemone1082/entry-12604093345.htmlより引用の枕草子のホトトギス

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   (21)  祭りのかへさ見るとて、雲林院・知足院などの前に車を立てたれば、ほととぎすも忍ばぬにやあらむ、鳴くに、いとようまねび似せて、木高き木どもの中に、もろ声に鳴きたるこそ、さすがにをかしけれ。→祭りの帰りの行列を見るといって、雲林院・知足院などの前に車を止めていると、ホトトギスも我慢できないのであろうか、鳴くと、とてもうまく声をまねて、梢が高い木の中で、声を合わせて鳴いているのは、やはり趣があるものだ。
(22)ほととぎすは、なほさらにいふべきかたなし。いつしかしたり顔にも聞こえたるに、卯の花・花橘などに宿りをして、はた隠れたるも、ねたげなる心ばへなり。→ホトトギスは、やはりまったく言いようがない。いつのまにか得意顔にも聞こえているが、ウツギや花橘などに留まって、なかば隠れているのも心憎いほど素晴らしい風情である。
(23)  五月雨の短き夜に寝覚めをして、いかで人よりさきに聞かむと待たれて、夜深くうち出でたる声の、らうらうじう愛敬づきたる、いみじう心あくがれ、せむかたなし。→五月雨の短い夜に眠りが覚めて、何とかして人より先に聞きたいと待ち遠しく思って、夜が深いうちに鳴きだした声が、気品があって魅力的で、心がひきつけられ、どうしようもない。
(24)  六月になりぬれば、音もせずなりぬる、すべて言ふもおろかなり。→六月になってしまうと、声もしなくなってしまうこと、何もかも言いようもなく素晴らしい。
(25)  夜鳴くもの、何も何もめでたし。ちごどものみぞさしもなき。→夜鳴くものは、何でも皆素晴らしい。ただ赤ん坊だけはそうでもない。

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