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第1916回 鳥を描く隠れた画家

①https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon/20210326-00229284より引用の剣豪宮本武蔵

   意外な日本の偉大な歴史にも名を馳せている人物の剣豪宮本武蔵はWikipediaによりますと「江戸時代初期の剣術家、大名家に仕えた兵法家、芸術家。二刀を用いる二天一流兵法の開祖。京都の兵法家・吉岡一門との戦いや巌流島での佐々木小次郎との決闘が有名である」と紹介され「絵画や武具・馬具造りも能くした。国の重要文化財に指定された『鵜図』『枯木鳴鵙図』『紅梅鳩図』を始め『正面達磨図』『盧葉達磨図』『盧雁図屏風』『野馬図』といった水墨画や鞍、木刀等の工芸品が各地の美術館に収蔵されている」とします。

②https://artscape.jp/study/art-achive/10102134_1982.htmlより引用の剣豪宮本武蔵の「枯木鳴鵙図(こぼくめいげきず)」重要文化財

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   そんな歴史を飾る剣豪宮本武蔵の作品に、野鳥を描いた作品のひとつに②-1.の「枯木鳴鵙図(こぼくめいげきず)」があります。大阪府和泉市久保惣記念美術館によりますと武蔵の筆は「墨画を善くし、二天の号をもって知られる。その画技は減筆体を特徴とし、同様の作風を示す海北派や長谷川派との関連も考えられるが、特定の師や作画時期については詳らかではない。身動ぎもせずに鋭く目を据える鵙と枝をゆっくり這い上る虫。すくとして残る枯れ枝と微風に揺らぐ低木。それぞれは静と動の対比において捉えられるが、次の瞬間に虫を待ち受ける運命を予測するとき、均衡が破られる前の張り詰めた空気さえ感じさせる。形態把握の的確さや描写の迫真性からは、天賦の才ばかりか修練によって培われた鋭い観察力、洞察力に基づいた豊かな筆力を想起させずにはおかない」武を極めようとする真摯さが込められています。

③-1.https://www.ichimainoe.co.jp/topics/20210727.htmlより引用の若手画家中村祐子

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③-2.https://www.ichimainoe.co.jp/topics/20210727.htmlより引用の「梅に鶯」

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   何か急に現在に戻り申し訳ありません。②-1.の写真の中村佑子(1977年〜)は日本の映画監督、テレビディレクター、作家です。剣豪宮本武蔵が今でいう画家でしたので、こんな「才女」の女性が画家でもおかしくはありません。『一枚の繪』より「古来、描き続けられてきている花鳥画を、截金(きりかね)の技法を用いた表現で日本画ならではの麗しい絵画空間を創出し続けています。その画面には、今を生きる画家ならではの伝統と革新、不易と流行の狭間に葛藤する姿も垣間見せてくれまただからこそ、そこに画家の作品の輝きがいや増すばかりなのではないかとも感じるのです」と評価を受けているホープ的な女流画家です。③-2.の絵画は古来から続く「梅に鶯」の截金の作品。

④-1.https://spice.eplus.jp/articles/282421/ampより引用の『渡辺省亭-欧米を魅了した花鳥画-』の《牡丹に蝶の図》 1893(明治26)年/絹本着色/一幅/個人蔵の代表作

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④-2.https://irohameguri.jp/art/watanabeseitei/より引用の「百舌鳥に蜘蛛図」

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   この世の中には日本の国内外でも有名な画家もあり、また国内では人気は画家、はたまたこの項では今でこそ、発掘されて注目を浴びていますが国内では全く無名でありました渡辺 省亭(わたなべ せいてい、嘉永4年12月27日(1852年1月18日)〜 大正7年(1918年4月2日)は、明治時代から大正時代にかけての日本画家。洋風表現を取り入れた、洒脱な花鳥画を得意としていましたが、自画像すらありません。④-1.と-2.の作品をご覧になられても、その作風は外国よりと私は感じます。明治11年(1878年)、省亭は日本画家としてはじめてパリを訪れ、滞在中に印象派の画家たちと交流し、ドガをはじめ多くの画家たちを驚かせたと伝えられています。また、明治20年代にロンドンの画廊で開催された展示会では、100点以上の省亭作品が販売されたと考えられています。亡くなってから日本で認められたというちょっと異例の画家です。

⑤-1a.https://m.facebook.com/TakashiTaniguchi.BirdPictureStudio/より引用の谷口高司

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⑤-1b.https://www.amazon.co.jp/新・水辺の鳥―野鳥観察ハンディ図鑑-谷口-高司/dp/4931150551より引用の図鑑のイラスト

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⑤-2a.https://yabuuchi-art.jp/profile.htmlより引用の薮内正幸

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⑤-2b.https://yabuuchi-art.jp/profile.htmlより引用の図鑑のイラスト

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    ⑤-1a.の写真は1947年2月25日東京都杉並区善福寺に生まれの鳥類イラストレーターの谷口 高司(たにぐち たかし、1947年2月25日〜)です。略歴は、Wikipediaより「日本野鳥の会創始者である中西悟堂の愛した善福寺池で、幼少より自然に親しみ、実家は谷口調髪所を営み、中西悟堂はその客で店で詠んだ「栗の花 鏡に映る 理髪床 夕ずく遅し 河原鶸の声」という歌を残している。通学していた桃井第四小学校の同級生には、のちに日本野鳥の会事務局長からバードライフ・インターナショナル副会長になった市田 則孝がおり、谷口 高司が野鳥図鑑画家となるきっかけを作った」⑤-1b.は本屋さんの鳥類図鑑のあのイラストです。⑤-2b.は薮内正幸は1940年(昭和15年)5月23日〜2000年(平成12年)6月18日で、日本の動物画家で絵本作家です。Wikipediaによりますと「絵の技術は独学だが動物学者の今泉吉典の元で基礎を習得。「僕は毛描き」と言うほど鳥や動物の羽毛や毛の一本一本まで丹念に描くため、図鑑の挿絵は精緻でありながら親しみ深く暖かい。描いた絵は1万点を超える。サントリーによる「愛鳥キャンペーン」の新聞広告で1973年(昭和48年)度朝日広告賞第2部グランプリ、1983年『コウモリ』で第30回サンケイ児童出版文化賞、1989年(平成元年)『日本の恐竜』が第9回吉村証子記念日本科学読物賞、1992年『野鳥の図鑑』で国際児童図書評議会(IBBY)オナーリスト賞受賞」この頃の二人のイラストレーターも私には立派な鳥を描く画家です。

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