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社会運動について

社会問題、例えば捕鯨ですね、
クジラには人間以上の知性がある
確かにそうかもしれない
そうでないかもしれない

しかし、捕鯨で暮らしを立てている地域も
古代からあったわけです。

私も社会で虐げられたものへ
愛情を向けることは、決して悪いこととは思いません
大抵の人々は、それを他者に押し付けようとしたり

自分たちは特別なことを理解できる人間で
あることの主張にすり変わってる感じも否めません。

子供を育てるに当たって特別な人間観は、毒になることが多いです

特に、付け焼き刃的な知識、
人を納得させられる穏やかさの人格
カリスマ性、信念なく

今現在の社会で行きづらさの
言い訳チックに使われることは
間違っていると思うのです。

自分は社会と相容れない
特別な人間だ

そんな人に限って、普通に生きられなかった
すり替えを社会運動にすり替えてしまうことをよくやります。
これは、宗教なども当てはまります。

社会から、自分の本質から
逃げるために社会運動に走る
そしてヒーロー気分になる

そして、一般社会でごく普通に(勘違いですが)
過ごしている人たちを
さげすんで見ている。
このさげすみ、哀れみ目線は
社会運動する方たちに、よく感じることです。

これを、問題のすり替えと言います。

つまり、自分の中の怒りと理解されない悔しさ
社会に交われない苦しさから、逃げているのですね。

順番的には、

社会問題、
それよりも先に、まず社会に適応できて
人との繋がりが作れ
自分の弱さと強さを理解し受けいれ
その上で運動に賛同する

こうですね

人間は、弱い生き物です

時には人を許せなかったり

憎んだり

我慢したり、恐れたり

逆に強い生き物でもあります

信頼し、協力し

絆を深めたり、愛したり

心から人の悲しみに共感することもできます。

どちらもあります。

それらを受け入れた上で社会運動のお手伝いをすることは、とても素晴らしいことだと思うのです。

私がやっている、不登校、引きこもり問題

アダルトチルドレンの問題であっても

ひとつの社会運動ではありますが

そのようなことを子育ての中で
経験したことですが

だからといって、

こうすればいい、とか

ひきこもりやすい社会になれば良いとか

不登校が生きやすい社会になればいいとか

引きこもりを推奨するつもりもありません。

それは、とても危険なことだと感じています。

社会に出るための1歩を、どのようにして
親子でつくっていくか、
親がわが、どれほど
自分の勘違いした強さを変えられるか自分の弱さを受け入れていけるか

それが、不登校問題の解決の第1歩になると
考えているのです。

そこに、社会運動は必要ではないと
思っています。

親側が自信がなかったり
軸がなかったりすると、強い社会運動、
成功者の楽な意見に流されていきます

不登校問題

まわりに理解されなくても
親がたったひとりの子供を理解すれば
子供は自然に力を自力を得ていきます。

環境を変えることは、時には必要でしょう
しかし、親側の思い込みだけで
動くなかれと、思います。

子供と親側は、意見は全く違います。

親側の気持ちを子供に投影させることないよう
1番の理解者であること
そして、社会(家庭)での親の生き方を示すことが
親のやれることではないかと思います。

まず親の自我を育て
強くいきていきましょう。

社会運動は、それからです







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