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古典不要論とか言わないでさあ

カンニング竹山さんがとあるテレビ番組で「人生で一度も古典が役に立ったことがない」という趣旨のことをおっしゃっていました。

これは実際そう思っている人多いでしょうね。
「古典なんてなんの役に立つの?」と。確かに、高校までで勉強した古典の知識を人生に役立てた記憶がある人はそうそういないかも知れませんね。

でもあえてぼくは擁護の立場に立ってみようと思います。

古典は面白い

試験で用いられる教科として使われ、やれ古語だ文法だ、構文だとなるせいで毛嫌いしている方は多かろうと思います。
ですが題材として用いられる文章は古文も漢文も結構面白いものが多いです。
『源氏物語』などは現代でも漫画化ドラマ化される人気作品ですし、『徒然草』とかはなかなか面白い話が載っていて文学としてというより娯楽として面白いです。
それはそう。
「後世に残す文学」として書かれたわけではないので肩の力の抜けた文章も多数見られて当然なのです。

漢文もそうです。
孔子の『論語』などのようなちょっとお説教臭い部分はありますが現代にも通じるような教えや中国ならではの奇譚など面白い文章が多数教科書に掲載されています。

面白いことを学ぶことに反対する人はいないはず。
もちろん面白さは主観なのでぼくがどれだけ古典の面白さを主張してもそうは思わない人もいるでしょうが。

役に立つ/立たない論

じゃあ古典は何の役に立つのか。
という点について。
これについて語る前にそもそもなんですけど学校って「役に立つことを学ぶ場所」ではないと思うのですけどね。
これは勘違いしている人が非常に多いように思います。

学校において学んだことで本当に役に立つのはその内容自体ではなく、知識や視野、思考のプロセスなどです。

そもそも人生において何が役に立つかなどは人によって全然違います。
歴史学の教授を務めている人にとっては古典なんて役に立つどころか絶対になくてはならない知識でしょう。
英語は多くの人に有用ですが、英語を使わずとも暮らしていける人などいくらでもいます。
そうはいっても「出来るだけ多くの人に役立つことを必修にした方が良くない?」という意見はありましょう。
ぼくもそれなりにその意見には賛成なのですが。

ただ、実学重視が行き過ぎるのもどうかと思います。
会計学や金融、あるいは最近は情報科目の重要性が高まっており、教科にも組み込まれてきています。
それ自体は良いことだと思うのです。
が、学びの幅が縮小されたり過去の記録や伝承を軽視したりという態度は学問の衰退を招くような気がするんですよね。これは感傷かもしれませんが。
一見すぐには役に立たないことを学び深掘りして研究するということが許される世の中であって欲しい。
宇宙開発が「ただのロマンだろ? 予算削るわ」なんてないがしろにされる状況は見ていて悲しいですし、そもそも科学や文明の発展は実用とロマンが両方あってこそ成立したものだと思います。

必須科目にすることの是非について

「古典はあってもいいけど入試の必須科目にする必要はなくない?」派もいらっしゃると思います。
ここについてはぼくも結構賛成の立場かもしれません。
ただし「入試の科目にでもしないと人はまじめに学ばなくなる」という考え方はありますね。
とはいえ学びたい人だけ学べばよいというスタンスで、文系理系の科目選択のように言語文化もいずれ選択制になる日が来るかもしれません。

古文とは、現代日本語の文法や語法に近い作りになっている言語で書かれた文章を読むことで歴史を知ることができるという非常に貴重な学問だと思います。結構替えが利かない利点を持っているのでなるべくなら多くの人に学んでほしいと思っているのですけれどね。

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