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雑記 ~いつの間にやら100記事~

・八月の終わりになにかの焦燥感に駆られてnoteを書き始めてからもう100日ほどが経過した。

・テキスト記事を毎日投稿しているので100記事を超えたということになる。

・毎日投稿することはまあまあ大変というかめんどくさいというかネタ切れに困ることもあったりしたのですが、意外とすんなりと続けられたなという印象でした。

・よくもまあこんな空っぽな人間から100記事も絞り出せたなという感慨はあります。

・ほぼ間違いなくぼくの記事を一番読んでるのはぼく自身であり、基本的には誰かのためではなく自分を救うために書いているというスタンスでありたいのです。

・よって100記事超えたからと言ってぼくがなにか偉そうに、なんですか、note継続更新のコツ? とかですか? そういうものを書く気にはならないのですが。

・最近思うのが、継続することよりも「上手にやめること」の方が大事ではないのかなと思うようになってきました。

・「やらなければいけないことをやる」このメソッドは巷に溢れているような気がします。ノウハウも知っている。実践もできている。

・「やめた方がいいことをやめる」これってなかなかできてないなって思います。

・ぼくは以前スマホのゲームアプリをいくつかやっていたことがあるのですが、それらはある時意識して止めました。

・主にデレステとファイアーエムブレムヒーローズですね。どちらも無課金でしたがかなり楽しめたのですが「なんだか有意義ではないな」という気がしたのとスマホの容量がカツカツになったのを契機にアンインストールしました。

・代わりにスマホでするのは学習アプリです。あっ、あと漫画アプリ。

・何かをやめるって結構勇気がいることが多くないですか?

・恋人と別れる、仕事やバイトをやめるといったレベルのこととなると人生に大きく関わってきますが、そこまでのものでなくても生活を少し変えるくらいの影響があります。

・疲れていたり精神が病んでいたりすると、環境やルーティーンが変わってしまうことに大きなストレスと感じてしまいます。ダメな恋人といつまでも別れられないのやブラック企業をやめられないのはそういった原因も少なからずあると思う。悪循環。

・でも勇気を出して何かをやめることって時として大事だよなって思います。なぜって何かをやめないと新しい何かを始められないもの。

・人生を最適化して生きている人は、何か新しいことをする余地がなくなっている。人生に遊びがないのだ。

・最近の自分はそんな感じになりつつあるんですね。

・ゲーム(notスマホゲー)が好きなんですが、最近できていないのは決してやめたわけではなく優先順位を下げたために手が回らなくなってしまっただけ。これはストレスである。

・以前までであれば日々の優先度高めのことも一日の早いうちに終わらせて、夜に自分の時間を持てたのですが、最近はどうにも調子が悪くて。

・PONYというラッパーの「SUKIKATTE」という楽曲がある。

・LIBRO氏のバース”俺らやりたい事やる やめたい事やめる 議論の余地なし お前もだろ?”なんとも耳に残る印象的なリリックだ。

・もちろん世の中はやりたくないことをやらなければいけない。そうでなければ生きていけないことも多い。

・でも意外とその多くは単に自分の思い込みに縛られているだけのような気もしてしまうのだ。結構やりたい事だけやって、やりたくないことやらずに生きて行けたりするんでない?

・基本的に世の中は「他人に迷惑かけなければ」何をしても良い、という風潮がある。法律だとかは置いといて結構多くの人がうなずく条件節ではないだろうか。

・でも他人に迷惑をかけるの基準が人によってまちまちだし広すぎるんだよなって。ぶっちゃけネガティブ思考の人からしたら「生きてるだけで他人に迷惑になってる気がします」なんてこともザラなので、ある程度は鈍感に生きなくてはならない。

・100記事超えたという話だったのに特にまとまりのない話になってしまったけれども、これからも適当に記事を投稿していこうという決意表明みたいなものだと思ってください。

・以上です。

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