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#22 地方都市の新たな魅力に出会う ブロンプトンとローカル線の旅/比較的空いてる京都を走る① 奥嵯峨ポタリング

ブロンプトンとの旅、最近ちょっと停滞気味です。
9月の南予への旅、そしてバンコクへの「里帰り」のあと、2〜3回遠出してはいるのですが、悪天候でほとんど走れなかったり、思い悩むことが多く気分も乗らなかったりで、ここに記録するような楽しい旅ではありませんでした。

ただ、予定のない週末には、よく近隣をポタリングしています。


わたしの住まいは京都市の西郊、嵐山の渡月橋まで徒歩10分弱。
3年半前、転職して京都へ越して来るにあたり、ここにマンションを借りたのは、職場への通勤の便、洛中と比べ割安な家賃水準に加え、世界的に知られる名勝がそばにある暮らしへの魅力に抗し難かったからでもありました。

コロナ禍が沈静化した今、オーバーツーリズムに関する報道では、浅草雷門と並んで、必ずといっていいほど嵐山の映像が映し出されています。
嵐電嵐山駅や天龍寺を中心に、南は渡月橋や中之島、北は竹林の道に至るエリアは、クルマはもちろん自転車での走行も危険なほどの混雑。
竹林を抜ける道も、緊急事態宣言下では、冒頭の写真のように自転車でも気兼ねなく入り込めたのですが、今ではよほど厚顔無恥でなければ走れません。
カフェもどこへ行ってもレジ待ちの大行列。これまでとは異なり、気軽にコーヒー一杯飲みに入れるような雰囲気ではなくなってしまいました。

しかし、ニュースで報じられているような大混雑は、実は限られたエリアのお話です。
何ヶ国語もが飛び交う、天龍寺を中心とした食べ歩きゾーンから北上しJR嵯峨野線の踏切を渡ると、ツーリストの姿はめっきり少なくなります。
そして、山懐に古寺が点在するこの北側のエリアにこそ、嵯峨野本来の魅力が満ちていると個人的には思っており、天気の良い日に、気合いを入れずポタポタとペダルを踏むひとときを楽しんでいます。

このエリアのことを、少し描いていきたいと思います。

◆ 清涼寺

阿鼻叫喚の食べ歩きゾーンからメインストリートをまっすぐ北上し、JRの踏切、さらに丸太町通りをわたると、清涼寺の参道。参道とはいえ、なんの変哲もない一方通行の隘路ではあります。道は緩やかな上りです。
正面には背の高い仁王門が見えてきます。横幅が比較的狭い上、周辺に建物が少ないためか、随分とスリムに見えます。

▲ 清涼寺仁王門

仁王門の先には、本堂との間に、広々とした空間が広がっています。わたしはこの佇まいが好きで、近くを通りかかったときにはいつもお参りに立ち寄ります。

▲ 清涼寺境内

境内へは自由に入れますが、本堂へ入るには拝観料が必要。
清涼寺は釈迦を本尊としており、嵯峨釈迦堂の別名があります。
毎年春と秋に、国宝の釈迦如来立像が公開されます。ただ、これ以外の時期でも、厨子を開けて煤払いしているタイミングに運良く出くわして、拝観できたこともありました。
この仏像は、奝然上人が寛和元年(985)、宋で模刻させ日本に持ち帰ったもので、胎内から絹でかたどった五臓六腑が納められていたことでも知られます。

釈迦と等身大と伝えられる像は162cm。丸みを帯び、肉感的で柔和。表情は南アジア的。髭を生やしても似合うのでは、などと思ってしまう。

本堂ではこのほか、狩野元信の釈迦如来図などをみることができます。

清涼寺は、混雑しておらず、かといって寂しすぎることもない、伸びやかで居心地の良いお寺。2023年の秋に、境内の一隅に雰囲気の良いカフェもオープンしました。既に、地元の自転車乗りの間で評判の店になっているようです。

▲ 稲荷と粕汁のランチ

◆奥嵯峨の古寺

この界隈には、このほか、常寂光寺、落柿舎、二尊院、祇王寺などが点在しています。いずれも拝観料が必要なので、近くに住んでいるからといって、毎週末のようにふらりと訪ねていたら家計が持ちませんが、年に2〜3回、御朱印帳をサコッシュに入れ、ペダルを踏んで、それぞれに異なる趣の山懐の古寺を巡っています。
青もみじが初夏の風に騒ぐ5月から6月上旬や、紅葉が美しい11月後半の1日を、愛車とともにこのエリアで過ごすのは悪くありません。
同じ山里でも大原などと違い、嵯峨嵐山や嵐電嵐山まで鉄道で来ることができるため、比較的クルマが少ないのが良いところ。またどのお寺も、世界遺産に登録されている寺社のように、拝観に来たのかヒューマンウォッチに来たのかわからなくなるようなこともなく、ゆっくり拝観することができます。

▼ 常寂光寺

▼ 落柿舎

▼ 二尊院

▼ 祇王寺

https://www.giouji.or.jp

◆化野念仏寺・愛宕念仏寺

さらに山へ分け入って坂を登り、鳥居本の旧宿場町を抜けていくと、やがて左手に化野念仏寺の石段が現れます。
このあたりは、東の鳥辺野、北の蓮台野と並ぶ京の三大葬地。794年の平安遷都に伴い、人口急増と都市化による流行病、また幾多の動乱などで倒れた、名もなき人々の亡骸がこの地へ運ばれ、風葬されたとのこと。
境内の賽の河原では、約8000の小さな石仏が、釈迦坐像を取り囲み、説法に耳を傾けているかのよう。風化した石仏たちの表情は読み取れないだけに、目を閉じて頷いているのだろうか、涙ぐんでいるのだろうか、それとも講話を受けてグループディスカッションの最中なのだろうか、などと想像力をかき立てられます。

▼ 化野念仏寺

この山あいの古寺で、現世の苦しみからようやく解き放された幾多の霊が、永遠の安息を得て、四季の移ろいを感じながら憩っているのだろう。
ここへ来るたびに、そのような弔いの念と共に境内を散策しています。
そのような霊たちの憩いの場所だからでしょうか、石仏が並ぶ賽の河原の敷地内における写真撮影は禁止されているので、いつも石垣の外から撮影させていただきます。

桜の季節、新緑の季節、紅葉の季節、それぞれに趣がありますが、雪の週末にさっと来られるのは地元在住の特権。淡雪はたちまち消えてしまいますので、気温が低い朝のうちにやってきます。

さらに坂道を上り詰めると、左手に、六丁峠への道が分岐します。六丁峠へは距離は短いながら平均斜度9.5%、最大斜度18%の激坂。薄暗く湿っぽい道であまり爽快感はない上、反対側の保津峡へは路面状態も良くない急な下り。京都へ越してきた当時は何度か走りましたが、最近は全く登っていません。
分岐点にある鮎料理で有名な平野屋を横目に、清滝トンネルの手前にある愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)まで行くと、山門の手前には愛宕山へ上るハイカーのクルマがずらりと並んでいます。しかしツーリストはというと、ここまで来る人は多くありません。
愛宕念仏寺は鎌倉時代に起源を持つ寺院ですが、廃寺となり荒れていたものが昭和30年代に再興されたのだそう。そして昭和50年代に、多くの参拝者が彫った約1200の羅漢像が、境内の斜面を埋め尽くしています。

愛宕念仏寺からは、爽快なダウンヒルが待っています。旧道をスピードを出して下るのは危ないので、バスも走る車道を行きます。そのまま清涼寺まで下り、門前で嵯峨豆腐を買って帰るか、それとも大覚寺の方へ逸れ、大沢池の周囲に広がる田園地帯をもう一走りするか…
マイ自転車を持参しなくともレンタサイクルは多数ありますが、相棒のような愛車と共に見知らぬ土地を巡る時間はかけがえのないもの。徒らにオーバーツーリズムを嘆かんよりは、派手さはなくとも穏やかな時間が流れる、こんな京都にも足を運んでいただきたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。これからも、noteのネタがない時は、こんな話題の記事も書いていきたいと思います。

これまでのローカル線とブロンプトンの旅、こちらへまとめております。

私は、2020年に勤務先を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。noteでは主に旅の記録を綴っており、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、また海外旅行のことなども書いていきます。宜しければ↓こちらもご笑覧下さい。


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