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【日本国記】 第二章 10 祇園祭5・日本とは世界で最も特殊な国である ―古くて新しい―   土方水月 

7 京都の祭りは葵祭と祇園祭   祇園祭 5

 祇園祭の主役である荒ぶる神スサノヲは牛頭天王とも呼ばれる。

 八坂神社の本殿に祀られる神は3柱。

   一柱はスサノヲ、中御座に祀られる。もう一柱は東御座に祀られる。櫛稲田姫と神大市比売と佐美良比売がそろって御同座とされる。そして、もう一柱は西御座に祀られる。スサノヲの御子たち八王子である八柱御子と八島篠見が祀られる。

 なぜ八島篠見も?八島篠見だけではない、五十猛と大年と大屋比売、抓津比売、宇迦之御魂、大屋毘古、須勢理毘売も祀られる。さらに傍御座に櫛稲田姫の父母である稲田宮主須賀之八耳も祀られる。

 そして、摂社に疫神社があり、そこに蘇民将来が祀られる。疫病除けの神として氏子崇敬者の信仰を集めるという。1月19日が例祭であり、7月31日の名護市の祭りには茅輪くぐりが行われる。茅輪守と粟餅の授与も行われる。この疫神社が祇園祭の本体である。

 スサノヲの荒御魂を祀る悪王子社も摂社であるが、明治に建てられているし、また末社もたくさんあるが、主な神は本殿の神と疫神社の神である。

 八坂神社の中心、中御座の神がスサノヲであった。このスサノヲは本来のスサノヲであり、荒ぶる神であった。高天原から降り立った出雲で櫛稲田姫を娶り、神大市比売を娶り、佐美良比売を娶り、八王子を生んだ。しかしこのスサノヲは大和の言うスサノヲであり、のちにスサノヲとなった高天原の神であった。二二ギよりも前に高天原から降り立った。元のスサノヲの娘須勢理姫を娶りスサノヲの王位を継いだことによりスサノヲの地位を持つことになった新しいスサノヲであった。人は彼のことをニギハヤヒとも呼ぶ。須勢理姫の父であった元のスサノヲは、本当はスサノヲではなく出雲の王大名持オオナモチであった。本名は八島篠見という。ここでの須勢理比売の父は八島篠見であり、櫛稲田姫の父は須賀之八耳である。須賀之八耳は出雲大社の奥宮である素鵞社に祀られる初代大名持であった。

 出雲の神が祀られている八坂神社に、後でやってきた蘇民将来が同居した形となっている。本来、蘇民将来を助ける神がここからスサノヲと同体になってしまった。神仏習合ならぬ、”神神習合”である。もとは大名持オオナモチであった出雲の神がニギハヤヒ・スサノヲとなり、蘇民将来の神がニニギとなったといってもよいもかもしれない。火明ホアカリと火折ホオリであった。ホオリは”ダビデ”でもあり“ヤコブ”でもあった。

 出雲族が支配していた山城は3世紀以降秦氏も住むところとなった。神武天皇を導いたとされる金鵄は熊野の八咫烏となり、葛城の太田となり、太田は道しるべの神猿田彦と宇受女となった。そうして、長岡京遷都と平安京遷都により都は出雲の山城に移り、大和から出雲に戻ったのであった。

 
つづく

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