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過去の日記掘り起こし隊

過去にアナログ(紙にペン)で日記をつけていたことがある。
B5に毎日見開き1ページ。なかなかの量だ。


今は全く日記をつける気も、そもそもつけようと思い至ることもなくなったが、見返してみたら「こんなこと書いてたっけ?」と面白くなった。

とある1日の中身を書いてみる。


志の近い人の方へ行くこと

ひとまず今の会社はそうではないと言える
自分の場所はここではない感がすごい

比較的重用してもらっているとは思うが、それは従業員の人数が絶対的に不足しているという要因が大部分を占めるだろう。

人数さえいれば協調性のあるものを社会は良しとするので、マイノリティは迫害を受ける。
それ自体は自分の答え合わせになるのでむしろ納得の方が大きい。

安住できる場所を探したいのかとも思ったが、よくよく自分に問いかけてみると、安住しない自分になりたいと思っていることに気付く。

いつも踏み出す一歩を躊躇ってばかりだ。
"準備"とかこつけて前に進むことを恐れているだけだ。


習慣によって少しは自分の日常は変わったように思う。
一人ででいる時間も誰かといる時間も。

少し痩せて、体型維持もできていて、少し自信がついたこと
着る服を選ぶときに以前より恥ずかしさがなくなったこと
それは運動習慣の賜物だ

さて、冒頭の"志の近い人"のもとへ行くにはどうすればいいか。

まずは自分自身を確立させること、正直になること
自分はどういう人間なのかを自分自身が知ること
そのためにはどんな自分になりたいか、をきちんと考えなければならない。

そして方向性が決まったら、いきなり変わるのではなく習慣によって少しずつ確立していけば良いのだと思う。(中略)


読み返しての感想は

ォオオオオオオオオオンンン

って感じ。いや、うん。

アピカの「紳士なノート」 はかいりょくばつぐん


読み返す気恥ずかしさもあるが、それよりこの時点からほぼ成長してないのでは…?と焦る感情が湧いてきてしまった。

この見開きを埋める日記は自己成長のためとして、辛いながらも毎日の日課としてなんとかこなしていたと思う。
当時は書くこともないのに何かしらで埋めねばという切迫感が嫌で、日記なのにストレスの一因となっていた程だ。

ただ今見返してみれば当時のもがいている姿が眩しくすらある。

現在はこのnoteを毎日書いているので日記を別途書こうとは思っていないが、日記の有用性は過去にも、そしてまさに今も改めて実感したところなので、見開き日記はしばらく手が出ないにしても、軽く思い出して吐き出すだけの一行日記三行日記は書いていても損はないのかな、と思った。



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