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絵を描く人が文章を綴ることについて

個展についての文章を、どうしても10月1日にあげたくてこちらが後になってしまいました。noteを稼働させてい5年ぶりなので、初めましてと書き出してみることにします。

初めまして、私は絵描きをしている人です。

ポートフォリオがわりにnoteを使っていたのですが面倒が見きれなくなって放置すること早5年。2020年の春です。四月最終日の今日は夏日でした。世の中はコロナで一変しています。そういう今日、存在もほとんど忘れていたnoteを動かしてみることにしました。スムーズにログインできたのは奇跡としか言いようがないです。

(※なんとなく公開せずにあたため、公開したのが10月になりました)

過去の投稿は整理しました。なんとなく最初の投稿だけのこして、二度目の始まりです。

私は絵で表現する人です。それ故に、文章の力を自分の表現活動にどのくらい組み込むか、いつも慎重でいました。私は絵でしか通じないコミュニケーションがあることを常々感じています。その特殊なコミュニケーションに取り憑かれて絵を描いています。なので、文章という絵以外の表現手段に、必然的に慎重になりました。

普段私が文章という手段を使うタイミングといえば、展示会場の挨拶文でしょうか。あの文章は毎回苦労するのですが、書くときはあっさりと書ききることが多いです。ずいぶん頭の中で考えて一気につくります。飾られる絵はもう決まっている訳で、それらを邪魔しないように、でも鑑賞者が少し足を止めるきっかけになるようにと考えながら文章を綴ります。鑑賞の仕方は十人十色ですので読まれようが読まれまいがいいのですが、実際あの文章が鑑賞の役に立つこともあるようです。あとは絵のタイトル。

作者が綴った文章や、冠した言葉が絵画鑑賞の役に立つことは間違いありません。けれどもあくまで私の作品は絵。しかも私は絵を前にした人との間に生まれるコミュニケーションに取り憑かれてしまっているものだから、私は自分の絵の「答え」を決めたくないのです。私の絵は時には謎解きになるかもしれないけれど、100点を目指してほしいわけではない。コンセプトを大事にする流れと逆行しているつもりはありませんが、私の絵は主義主張でもありません。そんな葛藤を抱えて、今まで必要最低限の言葉を発信するにとどめてきました。

しかしここにきて最近の環境の変化です。家にいる時間がとにかく長いのに、展示があっても在廊できず、作家仲間ともお客様とも話せず、作品の前でお話しできないことがこんなにはがゆいのかと思う日々です。取り憑かれたコミュニケーションなしに、画像だけで自分の絵を発信することに限界を感じています。なので一歩踏み出すことにしました。多分このnoteを読んでくれる人なんて皆無だとは思うのですが、ちょっとした決断です。

私は言葉が達者な方だと思います。自分の考えや主張を文章にするのも好きです。でも強い言葉は人に与える衝撃も大きいし、私は他人に自分の気持ちをぶつけることを好みません。何より絵の邪魔はできません。だからここでの文章にも最新の注意を払うことになりそうです。

絵を描く人がどんな風に言葉をつかっていけばいいのか、私にはわかりません。正直モデルもありません。でも他の様々な手段よりも自分に向いているのではないかと思います。

noteをやる上で一番大切なことは続けることだそうです。英語で日記を書くことも、一日一枚ドローイングをツイッターにあげることも、ストレッチもヨガも続かなかったので、続けるというプレッシャーを自分に課すことは逆効果なような気がします。

書きたいときに書いてみます。どうぞよろしくお願いいたします。

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