感情と向き合う「業務メールに対するもやり」編

今日、仕事の確認依頼メールの内容にもやり。
内容としては、「カクカクシカジカということをしたいのですが、社内手続き上、必要なことがあれば教えてください。」
これに対し、「社内手続きは社員全員が見られるんだからまず自分で確認して、わからないことがあれば、そこを聞いて来いよ。」ともやる。

あ、でも私このもやりよくあるな、よし、向き合ってみよう。

とはいえ、業務中に考え込むこともできないので、家に帰ってお風呂の中で振り返る。残念なことに、リアルタイムに感じたもやりはだいぶん薄れてしまっている。しかたない。
いつも通り、「いらっとしちゃったよねー」と沸いてきた感情を認める。そうすると、体が緩んで、自分の中のもやりの原因が見えてくる。

まず、子供のころの経験。うちの母には小さいころ頃から「アンタ、そんなことも知らないの?常識よ!」と本当によく言われてきた。そして母は、テレビとか待ちゆく人を見ては、「非常識ね、バカねー」という(もちろん本人には聞こえてない)。さらに両親がケンカすると、私もなぜかあおりをくって母に口をきいてもらえないことがあった。
こんな環境にいると、子供の私は「バカ」だとお母さんに嫌われて捨てられちゃう、と考え、常識のわからないバカであってはならないとそれは必死だったと思う。重度の「バカと言われたらどうしよう恐怖症」。

次に社会人になって。私に限らずだが、若手社員が先輩社員にわからなことを聞くと「まず自分で調べた?」と言われる。私だって後輩に同じような指導をした記憶がある。そして、先輩社員が特定の新人のことを「あいつ、自分の頭で考えないんだよ」と言っているような話が聞こえてくる。
そうすると、「まず自分でできるだけ調べて考えていかないと、マイナス評価されちゃう」ということが刷り込まれる。これは若手に対する指導としては至極健全なことだと思う。指導してくれる先輩から卒業した暁には自分で考えて自分で判断することが求められるのだから。
ただ、私の場合「バカにされると捨てられる」が根底にあるので、「マイナス評価される」=組織から捨てられるに無意識につながってしまう。

ということで、人に質問するときはとにかく自分で調べて考えないとダメである、という思い込みがすごく強いのだ。なので、それをしてない人にイラっとさせられる。

冷静に考えて「新人指導」の文脈なら正しいことでも、わからないことをすぐわかる人に聞くことがいつも悪いわけではない。むしろ効率性を考えると望ましいこともある。まして、私はもはや新人なんて入れるお年頃はとっくに卒業して、自分で調べるか、さっさと聞いてしまうかは、目的によって自分で判断できるお年頃。そう、「まず自分で考えなければならない」は万能ではない。なのに、そうと勘違いして相手の事情もよくわからないのに「自分で考えろよ」と自分の価値観を押し付けている。
これがもやりの原因。

自分で調べて考えるか、わかる人に聞くかは、そうしたい方を選ぼう。植え付けられた価値観で自分を縛るのはやめよう。

ということで、依頼メールをくれた人、ありがとう。社内の人とは言え、どなたかは存じ上げないのですが。
明日になりますが、返信メールに感謝の気持ちをしっかり乗せてお返事させていただきます!

明日は実家の父が遊びに来ることになっている。それをたのしみしつつ、ぴかりとねよーっと。
最近、朝までぶっ通しで寝てくれることが増えたぴかり。大きくなったぴかりにジイジもびっくりするだろうな。



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