見出し画像

Both are to blame.


最近またカメラマンとモデルの距離感の問題から生じるトラブルや注意喚起をよく見かけるが、カメラマン側はお金を払ったからといって何をしても(言っても)良いわけではないし、モデル側も撮影依頼を途切れさせたくない(撮影会でいうところの枠を埋めたい)から不快なことを言われてもされても我慢する必要はない。

「私はあなたのように強くないからハッキリ言えないんです!」と仰る方もいると思う。

いや、私も強くはない。
むしろ、か弱い側の属性である。

しかし、人前に出て表現する=モデル活動をしているのであれば、自分の身は自分で守る、すなわちリスクヘッジを兼ね備えておくことも「モデル」と名乗るのであれば、当然なことではないだろうか。

そもそもカメラマン、モデルは年齢も性別も何もかも違う人間同士が写真を介し出会えただけの話で、マッチングアプリなどの恋愛や婚活、ヤリモク目的な出会いとは全く異なる出会いであることを忘れてはならない。

なかには写真を介し出会い、お互いに惹かれ合い純粋に恋や愛に発展する人たちもいるだろう。

でもそれはあくまでも「同意」し「合意」の上、成立している関係であり不同意の上の不合意な行為はハラスメントや犯罪行為でしかないのだ。

兎にも角にも楽しく純粋に写真活動をしている人たちからしてみれば、こういった話がいつまでも聞こえてくるこの現状にうんざりだろう。

諸々勘違いをしてしまうカメラマンに非はあるが、それを助長してしまうモデル側の非も否めない。

「写真を撮ること」とは?
「写真に写ること」とは?

今一度、真摯に向き合い考えてみたいと思う。

私は教育者、またポートレートモデルの視点から、忖度ない素直な思いを自身の言葉で綴っております。思いを言語化し誰かに伝えていくことは、私にとって人を愛すること同様、とても尊く大切なことなのです。皆様からサポートして頂いたお気持ちは表現活動費とし大切に使わせて頂きます。