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デカい夢を語るのは、好きじゃない。

僕は一応起業家の端くれのくせに、デカい夢や目標を口にするのが苦手だ。

「さあ世界を変えよう!」みたいな起業家界隈に立ち込めるスーパー・ポジティブな空気(勘違いかもしれない)も、実はとても苦手だ。

もちろん会社の経営者として、事業の中長期の計画はあるし、それにコミットして働いてはいるのだけれど、いざそれを「夢」として口に出すとなると個人的にはどうも口憚ったい。

しかしどうして経営者たる者、いろんな場面で言語化を求められる。
株主や投資家向けのプレゼン、セミナーなどの機会があれば、空気的にはぜひ大いなる夢を語って欲しいわけなのだが、皆さんの多大なる期待には大概応えられない残念な男だ。

今でもお世話になっている先輩起業家と初めてお会いした時
「最終的にはどうなりたいの?」
と質問されて困った挙げ句、
「そうですね…無人島でも買って、静かに過ごしたいですかね」
とかいう、大きいのか小さいのかよく分からん事をぬかして、ぽかんとされた。

やたら不相応な夢を口走ったならば見透かされるような気がするし、堅実過ぎると過小評価される気がする。結果、謎の受け答えをしてしまい「訳の分からない男だ」と怪訝な印象を持たせるところに落ち着いてしまう。
誠に不本意ではあるのだが。

思い起こせば小さい頃からインドア派で、プラモデルをいじったり、楽器を弾いたりして過ごしていた。
勝手に一人で目標を立てて、それが達成できるかどうか突き詰めるのが好きだった。それを誰に話すでもなく、ひとり黙々と喜んだり悔しがったりしている、ちょっと気持ち悪い奴だった。
足が速い奴や活発なのが人気を得ていくのを見ては、僕は頑張ってもあんな風にはなれないだろうなあと、なんとなく感づいていた。

将来は誰にも邪魔されない場所でひとりで好きな事に没頭するのも悪くないなあなどと妄想する。例えば無人島とかさ(おや)。
というわけでこれは先天的な性格の問題だ。仕方ない。

そういえば、毎年正月に「今年の抱負は?」と聞かれるのも嫌だった。
なぜ毎年毎年、他人に強制的に目標設定を促されなければならないのか。
しかも365日でちょうど結果が判明しそうで、かつ少し頑張らないと達成できなさそうな絶妙極まりないハードル設定。大人だって難しいのに、小さい子が設定できるのか甚だ疑問だった。
僕は相変わらずマイペースだったので、都合良く365日で結果を出せみたいに言われると「やるからほっといて欲しいんだけどなあ」と思ったものだった。

「初日だからリセットして新たな気持ちでありたい」という刹那的なスッキリ感を求めているだけで、長期的な目標管理やモチベーション維持に向き合ってない変な風習だなあ、くらい思っている。

そんなわけで、今年一年の抱負などというのは決めないことにしている。

自己啓発本などには「ビッグマウスであれ」とか、「周りに言うことで形になる」とか書いていて、そういうものかと実践してみた時期もある。
だけど、言ったからには失敗できないみたいなプレッシャーがかかるのが、どうも性分に合わない。
だいたいの目標というのは高く設定しがちなので、結果としてやっぱり達成できていない自分を責めてしまって、追い込まれていく。

次第に、宣言したところで周りも別に他人の成果など大して興味がないという事に気づいてからは、無理して口外することを止めた。

人間、そんなに強くない。
そして、強くなんかなくてもいいや、と諦めた。

その代わり、夢や目標を曖昧にはしたくないので、明文化だけはするようにしている。自分しか見ない紙に書いて。
後は日々淡々と、業務にコミットしていく。
時々その紙を見返して、目標に対して遅れてるのか進んでるのか確認して、自分なりに少し修正する。
万が一できなかった日があっても、明日巻き返せばいいだけだと思えるし、外圧も無い。
これを繰り返していると雑念が消えて、結果的に速く夢や目標に近づいている気がしている。
たぶんこれが僕のやり方なのだと、今は結論づけている。

「こうであれ」といったノウハウというのは、統計や誰かの経験から導かれた指針なので、一度やってみるのはよいと思うけれど、僕みたいに合わない人もいる。
だから起業家に向かないわけじゃない。いや、向かないかもしれないけど、なんとかやれてはいる(多分)。
MBAホルダーのゴールドマン・サックス出身じゃないと成功しないわけでは無いはずなのだから。

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