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人には人のコーピングメソッド

今日、職場の先輩がプライベートのことでちょっと余裕が無さそうだった。そんなことって誰にでもある。
でも、その先輩、先輩のさらに上司にあたる人には、機嫌良く接していた。きっと上には気を遣って最低限のトーンを保っていたんだろうけど、「あれ、自分が何かしたのか?」と不安になって、いや何もしてないしな…と自問した。
そんな時、ひょこりと胸の奥で顔を出す傷がある。

中学の時の、とても仲の良かった友人の話で、あまり楽しくない話だ。友人にまつわる悲しい話というのが私には大きく2つあり、その1つである。
近しいひとには一度は話しているけれど、どうも軽く話してしまうきらいがあり、やっぱりずっと吐き出してはいないなと思っている。

中学1年生からクラスが同じで、行き返りの通学路もおなじ、親の会社もおなじで、気の合う素敵な友人だった。可愛らしいアーモンドアイがきゅるり、白くて長い脚がすらり、全体的に健康的な美しさがあり、文武両道なうえに勤勉な努力家で、人を惹きつける華がある女の子だった。
彼女はアスリートでもあり、毎朝早起きして練習をしてから学校に来て、部活動には入らずに毎日放課後はまた練習へ行き、土日も試合などがあった。
それにも関わらず、学校の勉強もきちんとこなして、さらに流行りのドラマや携帯小説もしっかり楽しんで、学生生活を充実させていた。
ストイックなでキラキラした彼女のことを尊敬していたし、向こうも私のパーソナリティには好意を抱いてくれていた、良い関係だったと思う。

そんな彼女との仲だったが、中学3年生の担任面談では、「お願いだから来年以降はもう同じクラスにしないでほしい」と半泣きで伝えている私がいた。切ない話である。

いつ頃からだったか忘れてしまったが、中学の途中から、ある日突然その子に無視されるという現象が起きた。しかも心当たりは何もない。
当時一緒にいたグループはその友人と私以外にも人がいたので、朝から一緒に過ごしてはいるのだが、その子だけは私がいないかの様に振る舞った。同じ話題について話しているのに間接的にしかキャッチボールは行われず、私がお手洗いから教室に帰ってきたタイミングでわざわざ盛り上がっている様を見せつけてから黙ったりといった具合だった。
おかげで私はなぜか無視してくる彼女にビクビクしながら機嫌をそれ以上損ねないように、でも何事もなかったの様にグループでいつも通り行動を続けるというストレスフルな生活を強いられ、かなり最悪だった。
はじめは、自分が何か失礼や傷つけることをしたのではないかとも思ったが、どう考えてもそうでない。
結構いやだなあと思っていると、突如として1週間ほどで元に戻った。なんだったんだ!と拍子抜けするくらい、元の仲良し状態になったのだ。
まあ‥いいか…と思った。

しかし。数か月するとまた、私を透明人間化する流行が彼女のなかで起こった。
勘弁してくれよと思ったし、繰り返し発生するということに絶望した。
そしてよくよく考えると、それは彼女の出場する重要なスポーツの大会の時期・サイクルと一致していることに気が付いた。
これに気が付いて、良かった。(親に「●●になぜか冷たくあたられている」という相談をして、対話するなかで気が付いたことであったので、とても感謝している。)
要するに彼女は極度のストレスがかかった状態になった際に、いちばん身近にいた優しい友人に負荷をかけ翻弄することで精神を保っていたのだ(と思う)。

アスリートって、大変だ。でも、そんなことしていいんだろうか。
私はサンドバックみたいな存在として扱われることにひどく傷ついたし、彼女のことがベースは好きだったから、仲の良いシーズンに戻ると「これが続けば大丈夫」と願い続ける、ハラスメント被害者みたいな心理になっていった。
たしかに常に自分の顔色を窺ってコントロールできる劣った存在がいれば、何かしらのストレスのコーピングメソッドになるのだろうとは思う。モラハラにやってること近いけど。考えるほど、彼女のいま周りにいるひとたちが、彼女と同じくらい強くしなやかであれと願う。

私は偉いので、学業以外の課外活動を頑張る友人を全力で応援しており、試合などで彼女が出られない授業のノートなんかを全部綺麗に取り、コピーをし、プリントを保管し、まとめて伝えてあげていた。おそらく一番甲斐甲斐しく彼女を支えていた友人だったのではないかと思う。
それが、いちばん近いところにいるという認識に繋がったのだろうか。光栄といえば光栄だが、いい迷惑でもあった。
おそらく私がこのポジションを買って出ていたことによって、3年間ずっと同じクラスだった。顔の良い女子生徒をひいきする男性体育教師が、課外活動のスポーツで輝かしい実績を次々と残す可憐な女子中学生をとりわけ贔屓するのは自然なことで、その横になんでもしてくれるやさしい文系の友人がいれば、「これ幸い」と隣に置いておくものだ。

同じクラスだった要員としておそらくもうひとつ、通学路が彼女や私と一緒だったもう1人の友人の存在もある。
彼女はカルチャーに感度が高く、感受性が繊細で、大人びていた。話が面白かったが、ちょっと嘘をつきやすい子でもあった。その子も、課外活動でスポーツに励んでいたが、あまり学校に来ない時期もあった。
その3人は3年間同じクラスだった。教師の計らいというものがあったと思う。
その子の虚言的な特性が強めに出ているとき、(私と例の彼女の関係が良好な季節であれば、)私達は2人で連帯してその場をやり過ごしていた。明らかに嘘だろうと思っても口には出さず、話を合わせる。そんな、ちょっとした共犯にも似た関係のなかで、彼女との繋がりを感じている自分がいて、全部ひっくるめて全然気持ちの良い時間ではなかった。
思春期の女子の友情関係って、もう全然、嫌な感じだ。

友人が試合が近くなって私を無視しているとき、私と彼女以外の同じグループの子たちが、みんなその異常な状況をスルーしているのも、嫌だった。
個別に「何かおかしいと思わないか」と相談したが、「私には普通に見える」とみんなに言われた。自分の妄想かなと思ってしまうくらいだ。友人たちが何も気が付いていないという発言が本当だったのか分からないが、とにかくあまり力になってもらえなかった。グループのなかでそのアスリートの女の子と関係を続けることの方が、私と取り合って面倒なことになるより優先順位が高いとでも言われているようで、ステルスに傷ついた。

何度かこのキツいシーズンを経験したあと、中学3年生のときの面談で、先生に相談しようと思った。あろうことか担任は先述の体育教師であったが、もう1人ペアの先生はハートフルな国語教師だったし、私はこれを相談する権利が十分にあると思った。試合が近づくと無視をされ辛いということを担任に伝えた。
すると、体育教師は驚愕の発言をした。「あいつも人一倍頑張っていて辛いんだ。申し訳ないけど、大人になって我慢して、これからもあいつを支えてやって欲しい、頼む」と言ってのけたのだ。
その瞬間、私の心は決まった。正直、3年間クラスが同じで敬愛する友人ともうこれ以上一緒に過ごしたくないということを、大人に公式に発言するのはかなり心苦しかった。だが同時に、このままでは私はずっと彼女のためにダメージを負い続けることになると悟り、「クラス分けてくれ」発言へとつながる訳だ。
世の中にはきっと善い体育教師もいるのだと思うが、申し訳ない、私はもうこれ以降、体育教師は共演NGだ。涙ながらに辛い経験を打ち明けてた生徒に、感謝するでも慰めるでも、百歩譲って「おまえにも直せるところがあったのでは」でもなく、その状況を知っていたかの様に「大人になって諦めろ」と言った大人……。とにかく、あの瞬間に全力で保身のスイッチを入れられたことに心から感謝する。

その後、しっかりクラスは分かれた。国語教師、ありがとう!
中高一貫ながら、私はさっぱりと新たな友人に恵まれ、この上なく楽しく高校生活を過ごした。別に大騒ぎして喧嘩した訳でもないから、中学の時のグループで後腐れもなかったし、面談でそうしたお願いをしたことに関しても嫌な後味はなかった。
例の彼女とは、普通に廊下で会えば挨拶したし、誕生日も祝った。私がクラスを離してくれと言ったことを耳にしたのかは分からないけど、そこまで気まずくもならず普通に学年にいる友達という感じになった。
たしか、高校の間のどこかのタイミングで「中学のとき自分が稚拙で傷つけたかも、ごめん」的な手紙か何かをくれた気がする。こんなんで許すかアホと思ってあまり自分に沁み込ませなかったので記憶は淡いが、でも彼女が振り返って自分の特性に気が付いてくれたのだとしたら良いことだなと思った。
適度な距離感というのは大事で、あんな思いは二度と御免被りたいとは思いながら、高校に入ってもスポーツを頑張っていた彼女のことは引き続き応援できた。

私のなかでは、「ストレスが溜まると無作為に人にあたる人がいる」ということ、「友情も大事だが自己保身も忘れてはならない」ということ、そして新たな価値観での友人の選び方という大切な気付きが得られた。
中学の時、なぜあのいわゆるリア充的なグループでつるんでいたのかは、正直自分でも謎だ。私は「絶対泣ける」と回された『恋空』にアレルギーを発症し読まずに返したし、私の鞄のライトノベルと鼻歌のボカロも大方「ないもの」として扱われていた(ひとりオタクに優しいギャルがいたのであれこれ聞いてくれた、ありがとう)。それでも楽しく一緒にいたのは多分、クラスの中を見渡して”小学校までで築いてきたクラスでの存在レベルの近い人”みたいなことだったのではないかもと思う。
それはもうやめにして、趣味やギャグセンスの合う人たちと時間を過ごしていこう、と思った。ヒエラルキー的な考え自体が稚拙とも言えるけれど、好きなものが合うバイブスみたいなものを信仰するようになった(大学で趣味≠人間性だと気が付くまでは……)。

彼女のことでまったく悩まなくなって2~3年が経った頃、有難くも高校卒業に際して学年や保護者の前でスピーチをする機会に恵まれた。
私は学年に敬愛するスーパーヒューマンが沢山いると思っていて、尊敬できる点がない人はいないと強く信じていた。そのことを書きたいと考えたとき、具体例を挙げるに際し、やはり彼女のことが頭に浮かんだ。
そしてそのことを書くかどうか、悩んだ。自分のなかで美化できるほど傷は癒えていなかったし、癪だなあとも思ったけど、でもやっぱり自分のなかで尊敬できる強い人間の例として触れずにはいられなかった。
たしかにひどいことはされたけど、彼女も未熟だったんだと思った。自分だって言ったことを後悔した発言がたくさんあるし、謝りたいこともたくさんした。そういうものだろうと思った。
だから自慢の友人として触れ、美しい思い出にしてしまった。

卒業式が終わったあと、彼女が私のところへ来た(気がする)。おそらく、いや絶対、彼女はあのくだりが自分のことだと気が付いていた。本人だったかお母さま経由だったか忘れたが、あれは自分だろうとお礼を言ってくれた(様な気がする)。そこへ来て強がって「え?ああそうかも^^」みたいな反応をすることに精一杯で周辺の記憶が薄らいでいるが…なんとなく、そこで私のなかでこの件は一件落着したのだった。

いまだに、彼女のやっていた競技がテレビに映っていると、当時かなりの熱量でそれを観ていたことを思い出すし、親戚が選手をやっているスポーツのような他人事でなさを覚える自分がいる。嫌なこともあって残念だったけど、やはり自分の10代の一部であった。
今日みたいに、あっこれトラウマになってるんだ~と思うとなんだか悲しいけれど、マイナスなことばかりではなかったと思う。
高校からできた友達のことが大好きだし、あのまま彼女とつるんでいたらというのは想像すらできない。

どんなに立派な人でも、ストレスがかかると、どこかの脆い部分がネガティブに反転することがある。かかった負荷の対処の仕方は十人十色で、私達は時に人を傷つけながらそのコーピングメソッドを学んでいくのだと思う。自分の機嫌を取るのが上手い大人は、格好良いよね。
大事な人の辛いときには寄り添いたいけど、近いがゆえに時として、誰にも向けられない刃をちらつかせてしまうこともあるのかもしれない。そんな時は距離を置いて、その友人のためにも自分を大事にして良いんだよ。
偉かったね。ありがとう。

*一方的な記憶で昇華を試みてしまったけど、彼女の幸せを心から願ってます。


millefeuille memories
いつまでも胸にずきんと刺さっている出来事たちを、幾層にも重なった時間薬の力を借りて時効に仕立て上げたいという試みです。


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