世界の平和と一切衆生の幸福のために

私たちは毎日朝晩、一切の祈りの最後に「世界の平和と一切衆生の幸福」を深く祈念します。

私たちの「世界」には、陽だまりのかけがえのない一家和楽の談笑があり、宿命と戦う戦友たちの師弟共戦の誓いがあります。

私たちの「世界」には、とてつもない格差と苛烈な差別があり、驕り高ぶった人がいる一方で、理不尽に尊厳を蹂躙され、虫けらのように殺される人がいます。

私は朝晩の祈りで、どこまで「世界」をイメージできているだろう。

描いている「世界」が一人一人違うため、同じ創価学会員でも様々な考え方を持った人がいます。

皆さんは、絶え間なく紛争が続くこの世界に、どうしたら恒久平和を築くことができると思いますか。

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4/5の公明新聞に国会議員の次のような発言が掲載されていました。

安全保障には、リアリティー(現実性)がある。相手がある中で、どうしていくのかという現実の話だ。日本の防衛にとって必要な戦闘機の問題だ。日本の求める性能を、英国、イタリアとの交渉で勝ち取っていかなければならない中、輸出による価格低減の努力が求められた。公明党は、非武装中立のような空想的な平和主義とは一線を画している。

(中略)

対話と抑止力という車の両輪が必要だ。防衛費では他国にかなわない。日米同盟を基軸に、同志国や周辺の仲間をつくり、抑止していくという、いわゆる「静かな抑止」も必要だ。

とありました。

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そこに
「汝、すべからく一身の安堵を思わば、まず四表の静謐を禱るべきものか。」
の御謹言に叶った、世界平和の真摯な祈りは、本当にあるのでしょうか。

そこで、見据えている「世界の平和」は、日本と、刻々と変わりゆく世界情勢の中で、当面は日本の国益と利害が一致すると期待できる、一部の国の平和のみではないでしょうか。

公明党の安全保障政策を担う国会議員が描く「世界の平和」には、そこからこぼれ落ちている国や世界が、余りにも多すぎます。

4/3の公明新聞の「Q&A防衛装備品の海外移転」も拝見しましたが、
相手を敵視して威嚇する「抑止力の増強」と対話、すなわち「対等な話し合い」を両立させて、平和を構築している器用な国があるなら、公明新聞に例示していただきたいです。

核武装してる国に囲まれているリアリティーを踏まえて、AI戦闘機の開発に遅れを取らないように三国同盟を組んで兵器開発を行い、米英仏独伊のような、きな臭い武器輸出大国・紛争当事国だった歴史のある国を含む15か国に限定して武器輸出すると、日本は紛争に巻き込まれず、本当に安全になるのでしょうか?

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新人間革命第17巻「本陣」の章に
1973年2月18日に
「生存の権利を守る青年部アピール」が、全国男子部長から発表されたことが記されています。

「われわれ創価学会青年部は、『生存の権利』という至上の権利を守り抜き、この地球上に恒久平和と人類の幸福をもたらすために、次の三つの主張を粘り強く訴え続けていく。

 一、核兵器および一切の軍備を地球上から消滅させ、一切の戦争を廃絶する。
 二、環境を破壊し、生命の生存の基盤を日に日に奪っていく公害を絶滅し、生き抜く権利を守り抜く。
 三、生命軽視の社会的風潮、暴力、人間性への不当なる抑圧と戦い、〝真の人間解放〟をめざす」

 アピールでは、さらに、この運動は万人の生存の権利を守り抜く「生命的ヒューマニズム運動」であり、生命、人格、個人の幸福は、いかなる場合も手段化しないという「生命尊厳」の立場からの展開であることを訴えていた。

 また、思想、信条の違いを乗り越えて、世界平和を願い、生命の尊厳を守り抜こうとする多くの人びとと友好の絆を強め、連帯して、その実現に向かって進むことをうたっていた。
(引用以上)

この青年部アピールは、ベトナム戦争の最中に出されました。いまの公明党の安全保障政策を担う国会議員の方々から見れば、さぞかし「空想的な平和主義」に映ることでしょう。

中米のコスタリカのような非武装中立に今すぐにしてほしいといっているのではありません。

支持団体が目標としている一切の軍備がない「世界」を空想的と言い捨てていること。

防衛白書が見ている「世界」とさほど変わらない世界観をもとに、公明党が創立者の平和提言を踏まえることもなく、原案を微修正しただけで、歯止めをかけたと成果を誇示し、早急に政策決定していること。

そういう危うさが、私は非常に恐ろしくてならないのです。

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