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イキテイテヨカッタの話

「私なんて、描かないなら生きてる価値がない」
そうあの子が言ったとき、わたしは背中がヒヤヒヤしたんだった。

ほう。
あなたの描くものは、人間ひとりの生を購えるものだと言うのね?
なんて。
じつに意地悪なことを考えたりもした。
ごめんね。

その時のわたしは既に溺れかけ、足がつかない深さにパニックを起こしていた。自分が描けなくなりつつあるのを自覚していて、
なんとか描いて
力の入らない力技 のようなものを描いてしまうことが増えて、
思考がまとまらなくて深い思考にdiveできなくて、
息ができなくてああ溺れる、もう溺れる、って。
わたしの方こそが、価値を失くしつつあるところだった。
でも、助けを求めることは無い。
助けてって言ってどうやって助けてもらう?
助けてもらって?
そんでどうするの?って。

わたしはわたしで、自力で息をしたかったんだ。オアダイ。
返答に詰まったわたしの 能面みたいな顔を、あの子も見たかな。
フォローの言葉のひとつも言えずに
「私なんて、描いてても生きる価値無いや」なんて考えてた。

もう、ずいぶん昔の話だ。


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生きていてよかった、とプレイリストから聞こえてくる。

これはあれだ、Twitterで誰かと誰かが話題にしていて、
で、それを横目に会話にも加わらず、しれっと試聴して
ああ聞いたことあるや、良い曲だね、って
ふっとお気に入りに入れていた曲。

そんな夜を探してる、って曲なのに
そんなに繰り返し歌われると、なんだか奇妙な痛みを覚えるよ。
ざわざわする。
そんなにも?そんなにも?と、意味のない問いが脳をめぐる。
イキテイテヨカッタ。
そう言われた夜が、わたしにはありました。


わたしをぎゅっと抱きしめながら
吐息であの子は「ああアタシ、生きててよかった 」って。
そう言ったんだった。


その瞬間、わたしの生は贖われた。


わたしという生命を寿がれた。そんな気がしたのでした。
あの時のわたしは確かに、生きてる価値があったように思う。
(べつに、今が価値無いとは言わないけどね)





まあその数年後、ぐっちゃぐちゃに罵り合って、血が沸騰するほど憎しみあって別れたんだけどネ!(°▽°)


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幸いなことに?
わたしは今まで、「生きていてよかった」と思ったことがない。
それは、生きるのをやめようとした事が無い証拠、のような気がしてる。
(あくまでも、わたしの場合の話です)

いやーまあ、「生きていたくない」くらいは思ったけどね。
どう違うかと言われたらうまく説明はできないけれど。


価値の話ではなくて。
これはきっと、何かの謎を解くキーワードなのではないか。

価値は、いらない。
おまえなんか生きてる価値ない、と誰かが言ったとしても
べつにいい。
生きていてよかった、と
誰かがそう言うのを聞けたことの方が、わたしにとっては重要だった。
つまり。
生きていてよかったと思っている人が、
わたし以外に、そう思ってる人が、
わたしには必要なんだと思う。


謎は、解けたかい?

あの頃のわたしに一瞬戻って、
「あなたが生きててよかったと、わたしは思うよ」
「描いてなくても」と言わせたい。

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