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”赤面症の悩み”の治し方/内向型・HSP

はじめに

この記事を見ている方は恐らく赤面症で悩んでいる、または悩んだことがあるのだと思う。

私も中学、高校と赤面症で悩んだ。というか、それが一番の悩みだったと思う。
そして、今も学生時代のときほどではないが悩んでいる。

そんな私が、ある本を読んで、
”赤面症の悩み”を解消できるかもしれないと思い、
また、それを皆さんにも共有したいと思いこの記事を書くことにした。


どんな悩みだった?

まずは私がどんなふうに悩んでいたのかについて書こうと思う。


きっかけは中学時代の授業中だった。

小学生時代までの私は、あまり前に出るタイプではなく、目立つのが好きではなかったものの、遠足でキャンプに行った時に同部屋の友達にギャグを言って笑わせていた記憶がある。

当時(生まれて)から内向型であることは変わりなかったものの、めちゃくちゃ恥ずかしがり屋ではなかったし、赤面症で悩むようなことは無かったように思う。


そんな私が赤面症で悩むようになったのは、中学校で数学の授業を受けているときだった。(数学の授業であったことは今でも覚えている)

クラス全体から注目を浴びるような出来事があり(ここの詳細は忘れてしまいましたが)、同じクラスの女子から、「耳が動いている」と言われ、なぜかそれがすごく恥ずかしくなってしまい、顔や耳の血管に血がすごい勢いで巡っているのを感じた。

それがトラウマとなり、その後クラス中から注目を浴びるのが怖くなってしまった。

授業で先生から当てられるなど、注目されると、恥ずかしくなってしまい、

「また耳が動いていないかな…」
「顔とか耳が赤くなっていないかな…」
「クラスの人に変な人だと思われてないかな…」
「後ろの席の人に見られているんじゃないか...」


などと一人で妄想して、恥ずかしくなることが多かった。


高校に入学してもそれは変わらなかった。

私は野球部に所属していて、同じ運動部に所属していたのか何なのかは知らないが、同じクラスのサッカー部の同級生からイジられることが多かった。(私が相手をイジるタイプではなかったので、イジられることが多かったのだと思う)
そして、その同級生は目立つことが好きなタイプであった。

目立つ人がイジってくるので、私も目立たざるを得なくなってしまう。それが嫌だった。

また、イジられて面白い返しが言えればよかったのかもしれないが、私にはそれができず変な空気になったこともあったりした。
それも嫌だった記憶がある。

そんな中、学校に通っていて、
「またイジられてみんなに注目されるのが嫌だな…」と怯えながら授業を受けていた。

これが3年間続いた。


高校を卒業した後も、それまでの出来事によるものなのか、
今では考えられないが、一人で外に出歩くのが怖くなっていた。
ショッピングモールに一人で行くのも、外に走りに行くのもなぜか周りの目を気にしてできなかった時期があった。


ある本を読んで悩みを解消できるかもと思った

こんな私が23歳になって読んだ本の中で、
当時の自分が読めば赤面症の悩みを解消できるかもと思った本がある。

それがこの本である。

この本を読んで思ったことは、
当時の自分が考えていた悩みはすべて「妄想」だったのではないかということである。

そして、「妄想には意味がない」

と本書では語られている。



当時の自分に対する考察

この本を読んで、当時の自分に対しての自己理解が深まった。

では、当時の自分に対する考察を述べてみようと思う。


部活中は悩むことがなかった

高校では野球部に入っていたと前述しましたが、部活をやっている最中は赤面症で悩むことがなかった。

「なぜ悩まなかったんだろう?」と思ったのだが、
その理由が2つあると気づいた。


「承認欲求」があったから

一つは、当時の自分には「承認欲求」があったということである。

具体的には、

「周りからよく思われたい」
「モテたい」

などと考えていた。

では”なぜ承認欲求があった”と考えたのかというと、

野球部の環境は女性がいなかったが、クラスの同級生には女性がいる。
そして、赤面してしまう(それで悩んでしまう)のはクラスの中にいるときだけであった。

このことから、恐らく私は女性に対して過剰な意識があるのだと思う。

そして、この女性に対しての過剰な意識は
「モテたい」、「変に思われたくない」という承認欲求から来ていたのである。

これは当時から薄々気づいていた。
男性だけの場では、赤面症になった覚えがなかった。


「感覚」に意識を向けていた

もう一つは「感覚」に意識を向けていたからである。

どういうことかというと、
悩みは頭で”考える(思考する)”ことから発生すると思う。頭で考えなければ悩むことはない。
野球をやっている最中は「感覚」に集中していたので、”考える”ことが少なかった。

これは「考えないで野球をやっていた」と言うわけではない。

例えば野球でいうならば、

・投球の時のリリースの瞬間に意識を向ける
・バッティングでバットとボールのコンタクトの瞬間に意識を向ける

など、頭を使って”考える”よりも”感覚”に意識を向けていた。

だから、赤面症で悩むことがなかったのだと思う。


さいごに

ここまでお読みいただきありがとうございました。

ここまで読んで、”赤面症を治す方法を知れるかも”と思いながら読んでくださった方には申し訳ないです。

しかし、最後に本書を読んであなたに伝えたいと思ったことがあります。

”赤面症”自体を治すことはできないんじゃないかと思う。しかし、赤面症に対して自分自身の捉え方(考え方)を変化させるによって、「赤面症の悩み」はなくすことができるのではないかと思う。


今、赤面症で悩んでいる方、赤面症に限らず人間関係、人生のことで悩んでいる方はぜひ本書を手に取ってみてください。


そして、赤面症の悩みを克服できたと思ったら、また記事を書いて報告しようと思います。

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