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ひきこもりの居場所がマシンガントークで破壊された話

こんにちは!
ひきこもりの生きる道@茨城です。

今回は以前書いた「ひきこもりの居場所は、なぜ特定の人しか来なくなるのか?」の中の「マシンガントークをする人がいる」の元になった出来事を書いています。

※あくまで個人の経験と体験に基づいて書いた記事なので、ひとつの見方として読んでいただければ幸いです。

マシンガントークとは?

《(和)machine gun+talk》間断なくしゃべり続けること。弾丸を連続発射する機関銃(マシンガン)のように話すこと(トーク)の意。

goo国語辞書「マシンガントークの意味」より引用

僕はマシンガントークをする人を「自分の話を他の人が聞いていてもいなくても気にせずにし続ける」という印象を持っています。

有名人で例えるなら「明石家さんま」や「黒柳徹子」がマシンガントークをする人に当てはまるのではないでしょうか?

舞台になった居場所の雰囲気は?

ひきこもりに理解のある個人が主催していて、静かに沈黙の時間も楽しもうというコンセプトの居場所。ひきこもり当事者・経験者や生きづらさを抱えている人が対象

集まった人たちで話をしてもしなくてもいい、静かにそれぞれが思いついたことをたまにポツポツと話すようなイメージ。

この居場所の変わっているけど、静かに落ち着いた時間を共有しようというコンセプトが僕は大好きでした。

自分の話をするのが苦手、または辛いというひきこもり当事者には優しい居場所です。

その日の状況や参加人数は?

この居場所は参加者が数人のこともあるのですが、この日は10人ほど参加者がいました。

参加者の内訳は僕を含めて3分の1から半分ぐらいの人が過去参加者で、残りの人は新規参加者という感じでした。

開始時間になり、主催者が居場所の趣旨の説明をして、参加者がそれぞれが一言ずつ自己紹介をする、ここまでの流れはいつも通りでした。

マシンガントークをする人は2人いた

自己紹介が終わり自由に話す時間が始まりました。今回は人数が多かったので静かに沈黙も楽しむというよりは色んな話が飛び交っていました。

あれ?でも気づくといつも同じ2人の人ばかり話している…。

そうです。この2人がマシンガントークをする人たちでした。10人もこの場にはいたのにほとんどこの2人のどちらかが話している時間が続きました。

なんとか話の方向性を変えようと頑張って、2人の話に介入する人もいましたが、あっという間に2人のどちらかが話す状態に戻されます。もう止まらない(笑)

この時の僕の率直な気持ちは「最悪だよ。なぜこの人たちの話を一方的に聞かされなくてはならないのか?」と憤りを感じていました。

気づけば1時間半以上経っても僕を含む3~4人は自己紹介以外は一言も発していないという、異常な事態になっていました。

マシンガントークをする人の話の内容

マシンガントークをする人の話の内容に特徴があったのでそれを挙げてみました。

・自分の過去と現代の話(辛い話もふくむ)
・自分が今思っていること、感じていること
・自分の話で勝手に興奮する
・他の人に呼び掛けたり、意見を求める話は少ない
・他の人の話に自分の話を被せる

僕の個人的な印象だと、まるでこの2人はカウンセリングでカウンセラーを相手に話す内容の話をしていると感じました。自分のことを一方的に話していて聞いている人に配慮がありません。

まるでつまらない演説や講演を一方的に聞かされているような気持ちにもなりました。

奇妙なのはマシンガントークをしている2人で議論をしているわけではないということです。あくまでそれぞれが自由に自分の話をしていました。

なぜ、居場所の雰囲気は破壊されてしまったのか?

マシンガントークの2人によって、その日の居場所の雰囲気は破壊されてしまったわけですが、考えられる問題をいくつか挙げてみました。

主催者の問題
・主催者が場の主導権を失っていた
・新規さんが多かったのに趣旨の説明不足

この居場所を主催していた主催者の方にも問題がありました。

新規さんが多かった(マシンガントークの1人ふくむ)のに居場所の趣旨の説明が不十分だったり、場の主導権を完全に失っていて、2人の話を直接的に止めることもしませんでした。

ただ、マシンガントークの2人の勢いが物凄かったので、責任はあったとしても主催者の方を責める気はありません。

マシンガントークの2人の問題
・沈黙を楽しむ時間がなくなってしまった
・一方的に話を聞かされただけの人は時間の無駄
・場の雰囲気を悪くしてしまった

2人がマシンガントークで話し続けたことで、他の人はこの居場所の趣旨である沈黙の時間を楽しむこともできなくなり、好きでもない話を一方的に話を聞かされて時間の無駄になったと思います。

結果として、表立って不満を言う人はいませんでしたが、場の雰囲気が悪くなりました

マシンガントークをした人は悪いのか?

マシンガントークをした人は悪いのか?という観点で考えてみます。

他の人への配慮(マナー)は欠けていたが、自由に話して良い(ルール)場で自分の話をしただけ

つまりマナー違反だけど、ルール違反ではないという結論になります。

この居場所の趣旨も自由に話をして良いという大前提があって、沈黙の時間を楽しむのは強制ではないですからね…。

ひきこもりと生きづらさというキーワードは幅広い

「ひきこもり」と「生きづらさ」という言葉は便利でよく使われますが、僕は多種多様な状況の当事者に当てはまってしまうので、使い方が難しい言葉だと思っています。

あくまで「ひきこもり」も「生きづらさ」も状態を表す言葉なので、その状態に至るまでの経緯が人によって全く違いますし、同じ状態を経験していても人としてタイプが正反対ということもありえます

たとえば、今回のようにマシンガントークをする人は2つの要素を持っていても積極的に自分を出すタイプで、僕や話をできなかった他の人は同じ要素持っていても消極的に少しずつ自分を出すタイプと全く正反対だと思います。

その両者が同じ趣旨の元で話そうとしても上手くいかないのは無理のないことなのかもしれません。

実際に僕はマシンガントークの2人の話を聞いていて、同じひきこもりや生きづらさを経験している人だと感じるものの、その背景が違いすぎてあまり共感できなかったです。

同じ背景を持っていると非言語でわかりあえる

比較のために同じ居場所の別の回の状況を思い出してみました。

・少人数で多くても5人ぐらい
・みんなあまり自分の話をしない
・1人の人が長く話をしない
・具体的な話より抽象的な話がよく出る
・沈黙の時間が長かった

その回に集まった人はみんな自分の話を具体的にはせずに、1人であまり長く話さずに沈黙も楽しんいたので、穏やかなゆっくりとした時間が流れてとても良い雰囲気でした。

マシンガントークの人がいた回と全く正反対…

その回に集まった人はみんなあまり自分の話をしなかったので、詳しくはわかりませんが、僕はなんとなく同じ背景を持っている人と感じられました。

人って同じ背景を持っていると「なんとなく」の非言語でもわかりあえたりするのだと思います。

まとめ

この出来事から僕は「やっぱり、ひきこもりの居場所って難しいな…」と考えさせられました。

「ひきこもり」と「生きづらさ」を共通点として色んな人が集まってしまうと場のコントロールがどうしても難しくなりますからね…。

僕はこの出来事があってからこの居場所に行くのをやめました。マシンガントークの人に一方的に話をされて、話をするのが苦手な人が不利益を被る状況に我慢がならないからです。

主催者の方は対策をするつもりはない、マシンガントークの人はおそらく悪気はないとなると、この状況に不満がある人は行かないという選択をするしかないと思います。

今回も最後まで読んでいただいて、ありがとうございました!

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