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ひきこもりを自己責任と考えるのは「真面目で誠実な性格の当事者」なのかもしれない...

こんにちは!
ひきこもりの生きる道@茨城です。

僕がたまに参加しているひきこもりの居場所で、ある当事者の方が言っていた「自分は自らの意志で逃げてひきこもって楽をしてきたから、今後どうなっても仕方がない」という言葉がすごく印象に残っています。

自分がひきこもっていたことを「逃げて楽していた」と表現するのも「辛くて苦しかった」と表現するのも人それぞれだと思いますが、その人がひきこもったキッカケが関係するのかもしれませんね。

たとえば

・具体的な原因がなく「何となくひきこもった人」は「逃げて楽していた」と思いやすい
・いじめやパワハラなどで「社会から排除されてひきこもった」人は「辛くて苦しかった」と思いやすい

※ひきこもりの原因は多種多様ですが、ここではわかりやすく単純化しています

僕は「なんとなく」「社会から排除された」ような経験を両方しているので、ひきこもりを逃げて自分で選んだ道と思いたい気持ちもわかるし、辛くて苦しかったという気持ちもわかります。

ただ、だからと言って「今後どうなっても仕方がない」というひきこもったのを全部自分の責任にしてしまうのは違うのかなと思います。

そもそも、キッカケがどうあってもひきこもった後に待ち受ける現実(ひきこもりや空白期間に対する社会の偏見・差別)だけで、僕は当事者がひきこもった代償を十分払っていると感じます。

僕は今回とりあげた発言をした方を良く知っていますが「真面目で誠実で良い人」です。

おそらくこの方は、ひきこもっていなかったら、普通に社会で活躍していたかもしれません。

「真面目で誠実」は普通の経歴の人ならば、社会的に評価される場合が多いですが、ひきこもり経験があるというマイナスのバイアスがかかった状態だと「真面目で誠実⇒頑固、融通が利かない、プライドが高い」と捉えられることがあるのが悲しいところです。(僕の実体験です)

ひきこもり当事者の場合は「真面目で誠実で良い人」という属性を持っていると、それがかえって社会復帰を妨げる足かせにもなりえるのかもしれないですね...。

実際に手段を選ばず、なりふり構わず、他人の迷惑も考えない当事者の方が社会復帰して幸せになっている印象があります。(ひきこもりに伴う空白期間は正攻法では突破できないせいもある)

僕は別にズルをする必要はないけれど、真面目で誠実な当事者こそ、使える可能性があるあらゆる手段や制度を使って、社会復帰を目指して欲しいなと思います。

心苦しい分は社会復帰して自分が幸せになることで、社会に還元しましょう。

たくさん働いて納税するもヨシ!ボランティアをするのもヨシ!

今回も最後まで読んでいただいて、ありがとうございました!

ブログにもひきこもりの記事をいくつか書いているので、興味がある方はそちらもご覧ください。


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