オードリーのANN東京Dのイベントの感想を見た感想の話と着地点

私は単発の時からオードリーのANNを聴き続けている。
深夜ラジオの時間まで起きてると翌日が辛いのでPCで録音し後日再生と言った具合だ。
と言っても他にもラジオを聴いている上にそこまで時間が割けないため周回遅れが続き、今は2022年11月の放送を。
そんな私が昨今の東京Dイベントの盛り上がりを見て思ったことがあるのでなんとなくnoteに書きたくなった。

そもそも私がラジオに出会ったのは中学生の時で、Kiss FM KOBEの「花鳥風月」と言う番組。
FMは音楽ばかりでつまらんと思っていた自分の感覚をぶっ壊してくれたのがこの番組だった。

そこからラジオの面白さに虜となり深夜ラジオに手を出すようになった。
始まりはアメザリのスレッドキングABC。
深夜ラジオの面白さを肌で感じたきっかになった番組だがとにかく衝撃だったのは覚えてる。

話は少し脱線するが「雑音リスナー」と言う言葉をみなさんはご存じだろうか。
夜中ラジオ(私はMDコンポ)を抱えて部屋中ウロウロし、一番聞こえるポジションを見つけて初めて雑音の中から音を聞き分ける。
さながら宝探しに近い感覚だった。
これはすごかった。エリアなぞ関係なく拾うのだ。
私は関西圏に住んでるがTBSや文化放送なんかも頑張れば聞こえる。
けどそれよりもお隣の国のワケ分からん言語の方が鮮明だったりする。
今はradikoと言う文明の発展の象徴のようなサイトのおかげで雑音なんて知らない人も多数いるだろうが、エリアは限られている(無料では)。
そう言った意味では完全にエリアフリーだったのだ。

そうこうあってオードリーのANNを聴くことになったのだが、毎週聴き始めたのは第20回くらいだったか。
その頃「今面白い芸人ラジオはオードリー」とネットでもちらほら目にしており、録音していた番組を順番飛ばして聴いてみたのだ。
これはすごかった。M-1で2位になったコンビとは思えないくらいポンコツだった。
なのに引き込まれた。これはすごいと思ってすぐに初回からリピートした。(ニ○ニ○動画に録音を挙げてくれていた方には感謝しかない)

深夜ラジオが趣味と言うのもどうかと自分では思うが、そう言う意味では十分趣味と言えるくらい聴いている。

そんな私が思う深夜ラジオのリスナーの姿と言うか、あるべき形と言うか、勝手に作り上げた像がある。
「前に出るな。謙虚であれ」だ。
深夜ラジオはあくまで深夜ラジオであり、テレビに比べて圧倒的マイナーメディアだ。
そんな中切り開いてたどり着いた言わば楽園のような場所を大事にするのがリスナーだと勝手に思い込んでいる。

偏見と自虐にまみれた腐った人間の言う事などまともに受け取るのが正しいので、こんな戯れ言鼻で笑われる方がいい。

私はイベントに行く深夜ラジオのリスナーは自分に酔っているだけで言うなればクラブに行くパリピと同じだと思っている。

草葉の陰で(表現として間違っているのは理解している)ひっそり見つめるのがリスナーで、前面に出ていく人間はもはやただの陽キャだ。
「深夜ラジオだぞ?深夜ラジオのリスナーだぞ?なにを統一感出してんだ」
そう思ってしまったのだ。

ただそこまで思って気付いたことがある。
そう「必ずしも深夜ラジオを深夜に聴いているわけではない」のだ。
自分がそうであるように。

先ほども言ったが、今はradikoと言うラジオ好きからすると神の思し召しのような存在のおかげで24時間どこでも聴けるのだ。
なので深夜ラジオを深夜聴いてる人間は一握りにすぎないのだ。

そう言った人間からすると「自分は深夜ラジオのリスナーである」と言った感覚は持ち合わせていない人の方が最早多いのではないか。

そこに行き着くと直前まで自分の中に抱えていたモヤモヤが全て吹き飛んだ。
まるで大雨が全てを流すように。

そんなことを思ったのでついこんなとんでもない思想をnoteにぶつけてしまった。
お恥ずかしい。
本当にお恥ずかしい話です。

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