悶々の中で。
内に秘めるモノはある。
でも、それをどう表層していっていいのか、自分のもどかしさに、
臥せっていた。
動けない自分と、動ける時に、
身体を動かすことによって、
本当に自分のアタマをフルに使って動いているのか、
それは他との比較でなく、
自分の納得出来る範囲の中での、
動けてもいや、考えられてもいなくて。
考える時はどちらにしても、独りで、
それは苦ではなくて、
考え、考え抜くことは、
楽しいことでもある。
考えても始まらないし、
動き出さないとどうしようもないこともわかっている。
動いたときに、言葉に出したときに、
それは所謂、相談先的な場所であって、
もしかしたら、今の立ち位置で、
話してて、
自分の弱みをあらわにもして、
その時は独りではないけれど、話し相手がいるから。
それが、やっぱり自分自身への悔しさでもあって、
あまり解決した気持ちにもならず、
もちろん、その日の1日は、他者と関われたことでの充実感はあるけれど、
やっぱり悔しさもあって、
なんとかすっとなりたい。
客観的に見たら、未だに障害受容をできていない、
ということなのかもしれない。
ただ、その、障害を露わにしないかたちで、もっと、
自分とも他者とも、時間とも場所とも関わりたい。
自分の得意なところを活かして。
時間も場所も問わず。
悶々としてるし、この悶々とした時間は、
ずっとは、
やっぱり悶々で、
自分らしく、
今の自分らしくではなく、
これからの自分らしさ、もちろん今、今までも踏まえて、
脱出したい。
前職の上司、
「時々思い出してるし、一緒に歩んでいますよ。
ゆっくりで構わないので、
誰のものでもない、
自分の生き方を確実に歩まれてください。」
という、趣旨の言葉、
それは、1年前のご助言だったけれど、
今もずしーーーんと、その温かさや重みも感じる。
年末に近づき、本当にそれが出来てるのか。
いや、自分なりに得たものもあるんだ。
この時間で。
ゴッホのひまわりとアイリスも、新宿で観てきた。
今、を
これからを、
また充実させて。
ムリなく、考慮すべきときは、考慮して。
今後とも宜しくお願いいたします。
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