人生の連続性について

突然ですがしばらく前から肺炎で入院しています。体が丈夫だったらもっと他の生きようがあるが、そうじゃないのでそれが出来ない。

所で少し前に、人生の不連続性という概念を聞いた。それが自分のコントロールが効かない状態で行われてしまうのは、確かに悲惨だろうな。

ただ、私も言われてみれば人生に連続性何かない。私の場合は発狂寸前のどん底から這い上がって、重度精神病の元友人とか、身体に絵が書いてあるお兄さんとかの助けを借りたりして社会復帰してた。
 
仕事は昔は飲食店だったが、人生中盤で「これではいけない」と思い、介護と医療の資格を取った。

連続性のない人間関係と人生は送っているが、「留まっては行けないから」であった。這い上がっている最中にはものの道理が通らない場合もあるんだな。

で、そろそろ自分の人生の落とし所を探さないといけない。もうこれ以上上に行くのはキツイから、今の自分がただのダメな人間と認めて、それにふさわしい色々なものを探すか。

実は努力なんてしなくても良かったのかもしれない。「頑張らなくて良いのよ」、とネットでも多くのメッセージが聞こえる。ただ、私はそれを聞いて、

うるせーよ、自分がダメだったら辛いのも私だし、あんたらは責任取らなくてもいいからね。と思うような性格だ。家の親は私を人形のように扱って、社会不適合者になった責任は私が取ってる。辞めたらどうなるんだと、そういう事。

でも、そろそろ自分の限界とこれ以上やる事はない、と言う所まで来ると、結果的に一番困るのはら何も持ってないという状況です。

はい。人は一人で生きていくには、結構な精神力とお金とスキルが必要です。

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