立候補年齢を引き下げるためのプロジェクト

若い世代の声が届く社会に向けて、私たちは立候補年齢の引き下げを提案します。 本プロジェ…

立候補年齢を引き下げるためのプロジェクト

若い世代の声が届く社会に向けて、私たちは立候補年齢の引き下げを提案します。 本プロジェクトの意図や、よくいただくご質問(FAQ)などWebサイト(hikisage.jp)に掲載しています。

最近の記事

【第3回期日 傍聴記】若い世代の正当な権利を認めてほしい。私も日本の司法を信じたい。

霞ヶ関にある東京地方裁判所。 テレビや新聞の中でしか見ないような場所に、数ヶ月に1回のペースで通うことになるなんて、少し前の自分に話しても信じてくれないだろう。 私が生まれて初めて傍聴に行った裁判。それが、立候補年齢引き下げ訴訟である。 3月14日は、3回目の期日だった。私が傍聴に行くのも3回目。初回は緊張して行ったが、今回は緊張よりもワクワクしていた。 そもそも、なぜ私が裁判の傍聴などという大それたことをすることになったかを説明しよう。 私はNO YOUTH NO

    • 【第2回期日 傍聴記】立候補年齢引き下げ訴訟は、みんなが当事者であり、関係者であると思う。

       「そういうものだから」  この言葉を私はこれまで何千回、聞いてきたでしょう。いろんな人が「そういうものだから」と諦めてきたことがたくさんありすぎて、私もたまにそう言ってしまう時があるけれど、それって本当に「そういうもの」なの?という気持ちで私は社会を見ています。  立候補年齢も「そういうものだから」で終わらせたくないものの1つだから、私はこの立候補年齢引き下げ訴訟を応援しています。  私は普段、大学で心理学を学びながら、ジェンダー平等を実現するために、20-30代の女

      • 【第1回期日 傍聴記】初めての裁判傍聴で見えた希望。「まだ何かやれそう」と思えた。

         2023年10月12日、東京地方裁判所で、立候補年齢引き下げ訴訟の第一回目の口頭弁論期日が行われました。  私は、この日が初めての裁判傍聴。法廷で見て聞いて、感じた記録を残します。  私は現在、大学で法律や政治を学びながら、一般社団法人NO YOUTH NO JAPAN(以下NYNJ)で活動する川西めいこです。主にInstagramで政治や社会問題についての発信をしています。  高校生の頃から若者の投票率が低いことに関心があり、それがきっかけでNYNJに入りました。で

        • 社会課題を解決するため、自分とは無縁と思っていた政治家を志すように。(吉住海斗)

           私は今回の訴訟で原告となりました。訴訟を提起するに至った経緯をお話しします。   私は、物心がついたころから、両親による身体的・精神的な虐待を受けていました。父親が違うことがきっかけで、3人兄弟の中で自分だけ虐待を受けるようになったのだと思います。暴力を受けたりするほか、学校に行かせてもらえなかったりしました。友達が自分のあざを見つけてくれたこともあったのですが、虐待した親が逮捕されたニュースなどを見ていたので、家族の生活や家族との未来がなくなってしまうことを恐れて、ずっ

        【第3回期日 傍聴記】若い世代の正当な権利を認めてほしい。私も日本の司法を信じたい。

          気候変動の危機は今すぐ取り組むべき課題。政策実現に向き合いたい。(中村涼夏)

           私は今回の立候補年齢引き下げ訴訟の原告の一人です。今回訴訟を提起するに至った経緯をお話しします。   私は三姉妹の長女として鹿児島県指宿市で生まれ、4歳頃まで鹿児島県内で暮らしてから名古屋市に引っ越し、大学から再び鹿児島にやってきました。いまは鹿児島大学で大学生をしています。  現在、私は自然保護関係のアクテイビストとして活動をしていますが、自然保護などに初めて関心を抱いたのは4歳ころだったと思います。 当時私は、種子島の海で毎日のように遊んでいました。海の色は雨が降っ

          気候変動の危機は今すぐ取り組むべき課題。政策実現に向き合いたい。(中村涼夏)

          環境問題、学費の問題…若い議員が増えれば、社会的な議論になるはず。(久保 遼)

           私は、今回の訴訟で原告となりました。訴訟を提起するに至った経緯をお話しします。   私は、福井県福井市で生まれ育ちました。小学校は、福井県勝山市にある××小学校という全寮制の学校に入学しました。その学校には、小さなことでも生徒同士で話し合って決めるという教育方針があり、ここでの教育をとおして、私は「社会のあり方をみんなで話し合って決めていくことの大切さ」を学びました。この全寮制の学校法人には、小学校から高校まで通いましたが、ここでの経験がその後の私の考えや活動に大きな影響

          環境問題、学費の問題…若い議員が増えれば、社会的な議論になるはず。(久保 遼)

          “保護”という名目で政治的活動から疎外され、制度を変えたいと思った。(中村涼香)

           私は、高校生の時から現在まで、核兵器を世界からなくすことを目指す社会活動に取り組んできました。そして、その活動に取り組む中で、もっと若い世代が政治の世界にいるようになれば、もう少し政治家の感覚や意思決定のあり方が変わっていくはずだと感じてきました。しかし、今の選挙制度はそれを許していません。私が今回の訴訟の原告となったのは、若者たちの政治参加を制限することにつながる今の制度がおかしい、変えたいと思ったからです。   私は今、東京にある大学の4年生で、国際政治を学んでいます

          “保護”という名目で政治的活動から疎外され、制度を変えたいと思った。(中村涼香)

          限られた大人による大人のためのルールメイクを、あらゆる人々による共創へ。(Chico.)

           私は今回の訴訟で原告となりました。訴訟を提起するに至った経緯をお話しします。   私は長崎県長崎市で生まれ育ちました。地元は価値観が古く、男性はいわゆる九州男児・亭主関白で、女性に対する蔑視が強い家庭が多く、物心ついたときからずっと違和感を抱いていました。親族の集まりでも、男性陣が上座に座って女性に酒をつがせていて、なぜ女性は座ってご飯を食べてはいけないんだろうとか、なぜ男性は自分でお酒をつがないんだろうと思っていました。これらの経験から、「女性たるもの」「女性らしさ」と

          限られた大人による大人のためのルールメイクを、あらゆる人々による共創へ。(Chico.)

          若者に政治参加を促す活動を続け至った思いは、“議員の中に若者を”(能條桃子)

           私は今回の訴訟で原告となりました。訴訟を提起するに至った経緯をお話しします。   私は、神奈川県平塚市で生まれ育ちました。小学校の時、一番好きな科目が社会授業でした。小学校3年から6年まで同じ担任の先生で、ユニセフでボランティアをしたことのあるような社会意識の強い先生に恵まれ、新聞の読み比べの授業なども社会への関心に繋がったと思っています。 政治との初めての接点は、その先生の推薦で、小学校6年生の夏休みに平塚市が開催していた「青少年議会」に参加したことでした。この取り組み

          若者に政治参加を促す活動を続け至った思いは、“議員の中に若者を”(能條桃子)

          報道を受けての本プロジェクト声明(2023.4.18)

           本年4月15日に岸田首相の遊説先で爆発物を投げた被疑者が、本人訴訟において被選挙年齢の引き下げを主張していたと一部報じられています。  当プロジェクトはもとより、当プロジェクトに関与している人たちはいずれも、これまでに被疑者と関わりを持ったことはありません。  当プロジェクトは、有権者の選択肢を増やすという意味でも、若者の権利の実現という意味でも、立候補年齢の引き下げが必要であると考えていますが、この主張は、司法の場における法に則った手続きや、言論によって実現されるべきであ

          報道を受けての本プロジェクト声明(2023.4.18)

          若い世代の声が届く社会に向けて、私たちは立候補年齢の引き下げを提案します。

          2016年、18歳から投票できるようになりました。 しかし、投票に行っても候補者に同年代の顔はありません。 なぜなら、立候補年齢は戦後変わらず25歳、30歳だから。 日本が直面する少子高齢社会、中高年男性が多くを占める政治の場に、より長い未来を生きる若い世代の声は、なかなか届いていません。 教育・雇用・福祉・メンタルヘルス・環境問題・気候変動・軍縮・ジェンダー・LGBTQ・多様性。 長期的な視点を持った10代・20代の声が届く政治は、日本をもっと持続可能で、生きやすい社会

          若い世代の声が届く社会に向けて、私たちは立候補年齢の引き下げを提案します。