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およそ5000年前、縄文時代には、日本列島では稀なヒスイ文明が栄えていました。その中心地が糸魚川です。この流域から九州北部、北海道までを網羅するヒスイの交易路が確立されていたのです。

ヒスイは、最初は「大珠(たいしゅ)」と呼ばれていたようです。細長い楕円形で5〜15センチ前後大で、ほぼ中央に穴が開いているものが用いられていました。縄文時代、中期から後期にかけての、およそ2000年しか存在しないものです。

驚くのは、硬くて加工しにくいヒスイを、石英砂を研磨剤に用い竹管で孔を開ける、シベリア伝来の先端技術を応用していたことです。


ヒスイは、死者を埋葬した墳墓から発掘されており、呪術師を埋葬する際に子孫を守ってもらうため、死者の魂の不滅と、パワーアップを願って副葬されたようです。

縄文人は、魔を回避するために、生命力を象徴する緑色を信仰していた文化がありました。日本ヒスイは、祖先から受け継いだ究極のヒーリングツールなのかもしれません。

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