12因縁とは何か?

【12因縁】
 12因縁とは、釈迦が菩提樹の下で悟ったとされる真理の一つです。別名を12縁起とも言います。縁起とは「あれがあるゆえにこれがある」と言った相互依存関係のことです。この世界は、その縁起によって、成り立っているとされています。我というものも、縁起から個別独立には存在していません。それを無我と言います。
 世界とは、連鎖反応的に出来事が起こる一つの連続体です。その出来事には、12の原因があるとされています。それが12縁起です。12縁起は、何者かが作ったものではありません。もともと、宇宙に常に存在していました。それを発見することが、悟りを開くことだとされています。ブッダは、12縁起が、どこから生じたのか観察し、それを発見しました。12縁起は①「無明」②「行」③「識」④「名色」⑤「六処」⑥「触」⑦「受」⑧「愛」⑨「取」⑩「有」⑪「生」⑫「老死」という順番です。それを順番に見ていくことを「順観」、その反対を「還滅」と言います。

【無常】
 我々は、絶えず移り変わる「無常」の世界に生きています。無常なのは、この世界が、一つの状態を維持することが出来きないからです。世界が「無常」「無我」であるという真理に対する根本的な無知を「無明」と言います。無明は、情報の不足ではありません。無知の原因を遡っていき、最終的にたどりつくのが無明です。
 無明の原因は「煩悩」だとされています。煩悩とは、欲望のことです。その欲望を持つものを衆生と言います。衆生とは、輪廻を繰り返す一切の生命のことです。12縁起が、その輪廻の原因になっています。この世界は、常に変化する無常の世界です。そこには「行」という潜在的な意志が働いているとされています。行とは、物事がそのようになる形成力のことです。それが、人間の意識というものも作っています。

【感覚と認識】
 世界が、存在しているのは、我々がそのように認識しているからです。その認識を「識」と言います。識とは、対象を分類し、区別することです。その働きがなければ、世界というものを認識出来ません。その識の対象となるものが物質や精神です。それらを合わせて「名色」と言います。「名」が心や名称で、「色」が形や物質的なものです。名色は、五蘊とも言います。五蘊「ごうん」とは、世界の構成要素のことです。
 そもそも、何かを認識するには、感覚がなくてはいけません。「目」「耳」「鼻」「舌」「身」「意」という感覚器官を「六処」または「6入」と言います。感覚も、実際に、接触しなければ何も起きません。その六処と対象が接触することを「触」と言います。触によって、生じるのが「快」「不快」などの感じ方です。それをを「受」と言います。

【存在】
 特に、人間は「快」快楽を欲するものです。そのことを「愛」と言います。愛も煩悩の一つです。その愛に執着すること「取」と言います。そもそも何かに執着するのは、自分が存在してるからです。存在していることを有「う」といいます。この世に存在してるのは、生まれてきたからです。それを「生」と言います。生あるものが、避けて通れないのが老と死です。それらを「老死」と言います。老死の原因は、生まれてきたことです。なぜなら、生まれこなければ老死が存在しないからです。このように物事の原因を探っていくのが12因縁だとされています。

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