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熱田神宮と「草薙の剣」

【熱田神宮】
 名古屋市にある熱田神宮は、年間100万人が訪れる日本人の心のふるさとです。熱田神宮は、伊勢神宮に次ぐ、由緒ある神社で、皇室第2の霊廟とされています。昔から「熱田さん」と呼ばれ、人々に親しまれました。熱田神宮「あつたじんぐう」は「熱田大神」を主祭神としています。熱田大神とは、草薙剣を御神体とする天照大神のことです。熱田神宮は、国家鎮護の神社とされています。国家鎮護とは、災いを沈め、国を平和にすることです。熱田神宮は、頼朝の母が、大宮寺の娘だったとされています。また、織田信長が、祈願したことで有名です。熱田神宮の神紋は、桐に竹で、眷属はニワトリだとされています。眷属とは、神の使いのことです。

【八岐大蛇】

 熱田神宮は、草薙剣が祀られている神社です。草薙剣の別名を「天叢雲剣」と言います。天叢雲剣は、スサノオが、出雲の国で、八岐大蛇の尾を十拳剣で切った時に出てきました。八岐大蛇は、8つの頭と8つの尾を持つ怪物で、谷8つと、山8つを合わせた大きさだとされています。8なのは、8が多いものを表す数だからです。スサノオが、八岐大蛇の頭と尾を切った時、十拳剣が欠けました。その欠けた十拳剣は、石上神宮祀られています。スサノオは、八岐大蛇の生贄だった櫛名田比売と結婚しました。こうした怪物を倒して姫と結婚するという神話をアンドロメダ型伝承と言います。
 ところで、八岐大蛇の正体とは何か?それには、二つの説があります。氾濫する「川」か、出雲を支配していた8つの「族長」だとするものです。川だとする場合は、スサノオが、治水事業を行い、水田を作ったという解釈になります。出雲という地域は、もともと鉄の産地で、製鉄業が盛んでした。族長とする説では、スサノオが、その地を征服し、製鉄技術を手に入れたという解釈になります。

【草薙剣】

 天叢雲剣「草薙剣は」は、天照大神に献上され、3種の神器とされました。3種の神器は、天皇の正当性を証明するものです。その中でも、武力の象徴とされています。3種の神器は、天皇家の先祖とされる邇邇芸命という神様に託され、地上に降りました。恐れおおいと、三種の神器が、皇居と神宮に分離されたのは、第10代天皇、崇神天皇「すじん」の時です。第11代天皇、垂仁天皇「すにん」の時には、伊勢に移りました。草薙剣が、今の熱田に移されたのは、景行天皇の時代です。実際に移したのは、景行天皇の息子である倭建命です。
 倭建命は、熊襲討伐の時、叔母の倭姫命から草薙剣を授かりました。倭姫命「やまとひめのみこと」は、伊勢神宮の初代斎宮です。倭建命は、相模で火攻めにあった時、草を薙ぎ払って、難を逃れました。それが、草薙剣という名称の由来です。倭建命は、臨終の時、草薙剣を妃の宮簀媛「みやずひめ」に預けました。宮簀媛が、熱田の地に社を建てて祀ったのが、熱田神宮の由来です。それを尾張氏が、その地で祀り続けています。
 草薙剣は、形代が作られ、宮中にも残りました。形代とは、依代の一種で、神が宿る物体とされています。草薙剣は、熱田にあるのが本体で、皇居にあるのが形代です。神聖なものなので、実物を直接観ることが禁じられており、公開はされていません。見ると祟りにあって死ぬとされています。実物は、天皇や宮司すら見れないので、その実態は誰にも分かりません。壇ノ浦の戦いで、安徳天皇と共に海に沈んだのは形代の方です。その時、朝廷は、伊勢神宮より献上された剣を代わりに草薙剣としました。


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