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岡倉天心の「茶の本」


【茶の本】 

  岡倉天心は「筆を持たない芸術家」と呼ばれた明治の美術運動家です。英語で「茶の本」という本を出版しました。茶の本を出版したのは、欧米人に東洋美術を紹介するためです。それによって、東西の相互理解を図ろうとしました。岡倉天心は、伝統的な日本の美術を再興しようとします。生活する上では、美術より、物質的なものの方が必要かも知れません。しかし、美術こそが、国にとって最も価値のある部分だとしました。

 【時代背景】

  物質的な利益を求めるから、戦争が起こります。一方、美術は、戦争とは無縁なものです。当時、日本では、外国に侵略されないように急速な欧米的近代化が進んでいました。岡倉天心が生きた時代は、日本が日清、日露戦争に勝利し、先進国の仲間入りをはたした頃です。大国の中国やロシアに戦争で勝利したことにより、日本が注目の的になりました。しかし、それは日本の文化が評価されたわけではありません。戦争という大規模殺戮によって、先進国として認められました。

 【茶】 

  お茶を飲む風習は、中国の大部分を占める漢民族の文化です。その文化は、原産地である中国では、モンゴル帝国や清によって破壊され、継承されませんでした。モンゴル人や清の女真族は、漢民族にとっては異民族です。日本は、四方を海に囲まれています。そうした地理的条件もあって、異民族に征服された経験がありません。そのため、日本では、お茶の文化が破壊されずに残りました。 

  日本では、茶はもともと薬用でしたが、後に飲料用として普通に飲まれるようになります。それが、上流階級の遊びとなり、最終的に茶道として形式化されました。 お茶は、はじめ東洋の奇行と見られていましたが、西洋でも紅茶として根付きます。それは、アジアの文化として、受け入れられた唯一の儀礼です。もともと、お茶を中国から日本に持ち込んだのは、臨済宗の開祖栄西です。そのため、禅宗とは深い関係があります。

 【茶道】 

  禅は、道教の影響を受けた仏教です。そのため、茶道は、道教の影響も受けています。茶道とは、茶を飲む際の一連の礼儀作法のことです。禅の悟りは、特別な知識を必要とせず、言葉や文字にも頼りません。ただ無心となり、自然と一体化することが悟りでした。禅では、日常の作業に集中することで、無心になれると考えられています。そのため、日常生活そのものが修行でした。禅は、お茶を飲むという何気ない行為の中に悟りを見出します。茶道とは、その禅の精神を視覚的に、行動で表現したものです。 

  日本の文化は、全て茶道の影響を受けています。茶道とは、日本の美意識を凝縮したものです。日本の美は、自然を利用してきました。それは、自然と融合した独自の調和です。日本人は、自然を通して暗示的に美を表現してきました。

 【茶室】 

  道教では、空っぽの状態を重視します。空っぽである方が、全てを受け入れることが出来るからです。また、道教では、あえて不完全であろうとします。それが本来の世界の姿だからです。 茶室という空間は、空っぽであることを視覚的に表現しています。違い棚など、非対称な建物は、不完全さの表現です。茶人は、その不完全のもの、心の中で完全なものに仕上げようとします。 

  茶室は、道教だけでなく、禅の思想にも基づいています。それは、禅と道教が、深い関係にあるからです。そのため、茶室も禅院に倣った簡素な作りをしています。 また、議論したり、坐禅を組む場所として、世俗から切り離されていました。そこが世俗の事柄とは、無関係な場所だからです。茶室には、屈んだ状態で入ります。その空間では、身分の差があってはならないからです。 茶室は、来る人によって別の空間が出来きます。そのため、同じ空間を二度と作り出せません。その時々の一度かぎりのものです。茶人たちは、その変化を楽しみます。


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