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八岐大蛇とは何か?

【八岐大蛇】

 八岐大蛇は、8つの頭と8本の尾を持つ大蛇です。目は、鬼灯のように真っ赤だとされています。その背中には「コケ」「ヒノキ」「スギ」などの木が生えていました。オロチの名前の由来は「愚かな知」だという説があります。愚かなとは、欲望のままに行動することです。その8つの頭は、迷いのことだとされています。
 八岐大蛇は、越の国から来て、毎年一人ずつ娘を食べていました。そこへやって来たのが、高天原「天上界」から追放されたスサノオです。スサノオは、斐伊川で、箸が流れてきたのを見て、上流へ行ってみると、老夫婦が美しい娘を間に泣いていました。泣いていたのは、八岐大蛇に、次に食べられるのが、その娘だったからです。その老夫婦の名を足名樵「あしなづち」と手名樵「てなづち」と言います。娘の名前は、櫛名田比売で、まだ年端もいかぬ少女でした。櫛名田比売は、大和撫子の語源だとされています。

【櫛名田比売と草薙剣】
 スサノオは、櫛名田比売「クシナダヒメ」との結婚を条件に、八岐大蛇を退治することにしました。櫛名田比売の櫛は、髪をとかすクシのことです。古来より、クシには、呪力があるとされていました。それをさした女性は、巫女だったとされています。スサノオは、櫛名田比売を神通力で手櫛に変身させ、それを髪にさしました。髪にさしたのは、女性が、生命力の源泉だとされていたからです。
 スサノオは、足名樵と手名樵に、8回醸した強い酒を作らせました。その酒を八塩折の酒「はつつぼ」と言います。スサノオは、八岐大蛇が、それを飲んで酔っぱらい、寝てしまった所をズタズタに切り刻みました。八岐大蛇の尾を切った時に、出てきたのが草薙剣です。名前のクサは「臭し」で、ナギは「蛇」のことだとされています。草薙剣は、姉の天照大神に献上されました。剣を献上することは、服従の意味だとされています。その後、スサノオは、櫛名田比売と暮らすために、出雲に「須賀宮」という宮殿をつくりました。

【川の化身】
 八岐大蛇は、もともと自然を象徴する山神や水神だったとされています。物理学の寺田寅彦は、溶岩の流れのことだとしました。一説では、八岐大蛇は、斐伊川のことではないかとされています。蛇行する川が、大蛇の形に似ていたからです。また、八岐大蛇は、洪水の化身であり、それを倒すことは、治水のことだとされています。その治水は、稲作に不可欠なものです。櫛名田比売は「奇し稲田」とも書く、田んぼの女神でした。スサノオも、稲の成長を助ける水神、農耕神だとされています。2神の婚姻は、水と田のつながりを意味していました。八岐大蛇の話は、弥生時代の始まりの象徴神話だとされています


【たたら】

 八岐大蛇は、出雲そのものだという説もあります。出雲は、質の良い砂鉄がとれたので、鉄文化と関わりが深い地域でした。八岐大蛇の腹は、血でただれ、真っ赤だったとされています。それが、製鉄の炎だとされました。鉄は、独立した形では存在していません。だいたい化合物として分布しています。そのため、還元が必要でした。それを行うのが、多々良「たたら」と呼ばれる日本古来の製鉄法です。たたらとは、炉に空気を送り込むための「ふいご」のことだとされています。鉄器は、農具として、田畑の耕作に使われ、収穫量を飛躍的に向上させました。八岐大蛇の神話は、製鉄技術を持つ出雲の地域を、大和政権が征服したことだとされています。


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