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新渡戸稲造の「武士道」


【武士道】 

  武士道とは、体系化された武士の道徳です。武士は、生活の面では、一般市民に依存していました。その代わり、戦争が起きたら、真っ先に戦わなくてはいけません。高い地位に応じた、それ相応の義務が生じるからです。そのため、通常の人間よりも厳しい道徳に縛られていました。武士道は、もともと武士という支配階級の思想です。それが、一般市民にまで広まりました。なぜなら、武士は、一般市民の模範となるべき存在だったからです。武士道は「仏教」「儒教」「神道」の影響を受けています。そこから「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」「忠義」からなる7つの徳が生まれました。 

 【義と勇】 

  「義」とは、正しい行いのことです。それは、武士が無条件に従うべきものでした。武士たる者が、卑怯者であってはなりません。義には、理性が働いています。それに対して、愛情は、人間に自然に備わっているものです。しかし、それが失われることもあります。親子の愛情も例外ではありません。たとえ愛情がなくなっても、助けようとするのが義です。それは、武家社会が作り上げた概念でした。 

  義と相互依存関係にあるのが「勇」です。正しいことが分かっていても、実際に実行しなければ意味がありません。そこで必要なのが勇気です。論語でも「義をみてせざるは勇なきなり」と言っています。 

 【仁】

  仁とは、同情やあわれみなど、他者を思いやる慈悲の心です。その慈悲は「武士の情け」とも言います。仁とは、優しい母のような徳です。伊達政宗は「義に過ぎれば、固くなる、仁に過ぎれば、弱くなる」と言っています。そのため、双方のバランスは必要です。 

  似ているものですが、封建制と専制は同一ではありません。仁によって、政治を行うのが封建制度です。もし、仁がなければ、最悪の専制政治に落ちいってしまいます。専制政治が、最悪なのは、人々に強制的な服従だけを強いるからです。 

 【礼】 

  他者への思いやりを目に見える形で表現したのが「礼」です。それは、社交上欠かすことが出来きないものでした。武士道は、世襲政治の上に成り立っています。それを成り立たせるには、社会的な秩序に対する従順さが必要でした。その従順さの訓練に最適だったのが「茶の湯の作法」です。茶の湯の動作やリズムが、従順な精神を修養させました。しかし、礼ばかりに拘れば、自由な思考を奪うという批判もあります。

 【誠】 

  武士が、非常に高い敬意を払っていたのが「誠」です。誠とは「言」ったことを「成」すと書きます。「武士の一言」と言われ、武士の言葉というだけで、真実の証明でした。そのため、武士は、約束事を文書にすることを嫌います。武士との約束は、証文無しで決められても、ほとんど守られていました。約束を破らないのは、何より嘘が嫌いだったからです。

 武士は、銭勘定や算盤など、経済や数学を学びませんでした。もし、損得感情で動いていたら、命懸けで戦うことが出来ないからです。正直な武士には、抜け目なく商売をやっていく力が欠落していました。そのため、商売をやっても、成功したのは100人に1人くらいです。 

 【名誉】 

  武士は、笑われたり、侮辱されることを強く嫌いました。それは、何よりも名誉を重んじたからです。名誉は、命よりも大切なものでした。それが、武士にとっての最高の善だったからです。時には、自分の名誉を傷つけた相手を殺害することもありました。切腹とは、不名誉を逃れるための一儀式にすぎません。それが、罪を償うための武士の責任の取り方でした。 

 【忠義】

  武士が個人よりも大切していたものに「忠義」があります。忠義とは、君主に対して、絶対的に従うことです。そのためには、自分を犠牲にしました。忠義とは、媚びへつらいや、奴隷となることではありません。それは、君臣の上下関係を守り、全体の体制を維持するためのものでした。この忠義が重視されるのは、個人が全体の構成員にすぎないからです。そのため、国のために死ぬことは、愛情よりも尊いものでした。これに対して、西洋は、個人を大切にする個人主義です。


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