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不便ではあるけど不利ではない

こんにちは、1月28日のひま餅です。
いや、仕事が忙しすぎて全然暇じゃない。そろそろnoteを書き溜めようかな……と考え中です。

さて、私は昔ちょっと福祉や医療の分野についてかじったので、ハンディやマイノリティについてよく考えるように言われてきました。

子供の頃から、道徳の時間に言われますよね、弱き者を守り、強くあるようにと。
みんな違ってみんないい、とか。
実際に、街でちょっと変わった人を見かけることもあるでしょう。
その人たちに対して、どう接していますか?

恐らく、ほとんどの人は「何もしない」のではないかと思います。
その答えは、正しくもあり、ちょっと的外れでもあります。
まあ、福祉に正解なんてないんですけど。

ハンディがあろうと、なかろうと、同じ社会で生きている1人。
だから、「何もしない」より「受け入れる」姿勢が求められています。
例えば道で隣を通る時、触らず、避けていくより、「どうぞ」と声をかけて道を譲る。

私は優しくもなんともない人間ですが、少しでも福祉を学んだ身として、「受け入れる」姿勢を心がけています。

ちょっと話が変わるのですが、子どもの頃、私は左利きでした。
矯正されて右利きになりましたが、今は左右盲という、右左が分かりにくい状態になりました。

例えば、私が左利きのままだったら、ハンディやマイノリティだった?と今でも考えます。
目立つようなハンディでなくても、右利きが主体の社会では不便なこともあるでしょう。

でも、不便であっても、生きるのに不利なわけではないのです。

なんだか言葉遊びみたいになってしまいましたが、全然難しいことは書きません。

そこに居る人を、ありのまま、受け入れること。
これが福祉の考え方です。
合わないという人もいるだろうから、その辺は自分なりの解釈を見つけてみてもいいかも。


ひま餅

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