コンスタントに作品をつくるってむずかしい

𝙸𝚐𝚗𝚘𝚒𝚛では半年に一回公演を行っていますが、そもそもなんで半年に一回なの??というと、全員別の将来があるからですね。

私も劇作家が将来の夢ではないしみんな俳優やるのが夢じゃない。就活のしんどさとかそういうの話しながらご飯食べたりするの。いいね、たのしいね。案外作品内容についてとか解釈とか演劇について、とかをあつく語ったりはしないかも。

半年に一回となると、公演が終わったらすぐまた次の公演に向けて動き出さなきゃいけないので、というか運営周りの方が大変すぎて、脚本間に合わないとかもってのほかになっちゃうんですよね…。

そうなると今の公演やりながら書いて、初稿が公演本番3ヶ月前とかにあがってると最高。そこからブラッシュアップしていったら、打ち上げのあとすぐ取り掛れるからね。

部活を引退して、残酷な数字で判断してくれる人がいなくなることは怖いことだとも思った。現役生だったころはコンペ形式が死ぬほど辛かった。だめだった時は私の思想、築き上げてきた人間関係、信頼、全てにダメ出しをされた気分になった。

脚本って単なる空想物語思いつき合戦じゃなくて、大体経験から得た教訓や、これって考えてるの私だけじゃないと思うんですけど、っていう話がエッセンスになってくるから、うん?共感できませんな。と大多数に言われてしまうことは、私の毎日生きてる上でのセンサーが世間とズレてるんじゃないかって不安になる。
人生圧縮版なの。肯定されたいじゃんやっぱり。

けど、やっぱり数字で勝ち取った物語っていうのはある程度共感されて、そして気持ちのいい終わり方だということであると思う。人を指導する上で、人に物申していい立場であることを自覚しながら進める。

でも、私が書くしかないから書いてるだけだと、どんなトンチキを生んじゃうか分からないし、それでいてそれを誰も指摘しない可能性がある。その足元がふわふわとした状態でみんなで一致団結を誓うことこそ愚かしいことなんじゃないかと思う時がある。

だから私は、自分のための物語は書かない。必ず、特定の誰かに向けた物語である。劇団員全員が主役を張るというシステムもそう。ある程度自分の舞台であるということを自覚させる事で枷にして、責任をもっているかのような錯覚を起こさせることでなにこれおもしろくないよ!っていうときにちゃんと出てくるようにしてある。

すごくずるい。座付き脚本家としてどうなのって思う。でも、私が書くのは世間にクーデターを起こすためでも存在を認知してもらうためでもなく、誰かに感謝されたいから。芸術家としてはダサい答えだとは思うけど、ほんとに凡人なの。だからしょうがないです。

私のやれることってこれくらいしかなくて、それはみんなが出来ないことをやってる訳でもないし。自分で言い始めて自分でこの席に居座ってるだけの奴なので。この席を誰かに奪われないように、よく考えたらお前いらなくね?って誰にも気付かれないように。

死にものぐるいで昨日よりいいものを生み出せるようになりたいな。

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