幸せそうなおまえへのアンチテーゼ

最近不特定多数に向けておまえって呼ぶことにハマってます。あなたへ、とか誰かへ、っていう表現で、当事者意識を持ってくれたことなんてなかったから。私の言葉を、もしかして自分にも当てはまってしまうのではと胸をバクバクさせながら聞いて欲しい。

対人関係ってもしかしてギブアンドテイク…?薄々気付いてはいた。でもそれはほんとうだった、というか本当だったどころか、そんなにルール化されてないしなんなら無法地帯でしかない。

ギブしたとしてもテイクされるかは分からない。かといって、こっちが多くギブするの嫌だからといってギブされるの待って同じだけしか返さないのもなんか違うのはわかる。でも実際、感謝もできない人間は存在するから、テイクされ可能性待ちでとりあえずギブしておけっていうのは得策じゃない気はしてる。


かつて私は、とりあえず思いやりのデカい人間が素晴らしいんだと思ってた。見返りがあるかないかなんかじゃなく、とりあえず人に与えられる人こそが長い目で見た時に自分のためになるし報われるってね。それは中高6年間キリスト教に漬かって生きてきた影響もあるのかもしれない。あとはその当時周りから愛される理由として唯一、優しいからっていうのをよく言われたからね。

でも、今更ながらに気付いてしまったわけよ。この人、たくさんくれたから、私もたくさんあげたいな、なんて純粋に考える人なんてそうそういないの。しかも頼んでもないことをしてもらったことなんて覚えてないし。
それどころか、人と出会った時に無意識下で自分より上か下かを判断し、搾取してもいい人間か、そうでない人間かをジャッジする奴もいる。

与えることでしか愛されないと思ってた私は、本当に馬鹿だと思うけど、初めて人の悪意に触れて(というか気付いて)自分の持ってるものだけじゃなく自分自身すらもけずって与えてしまってボロボロになってしまったの。

そこで這いずりながら日を浴びるだけの生き物になって、考えた。
愛されないなら生きてる意味ってなんだろう?
というか、そもそも愛されないと人はどうなってしまうんだろう?
愛ってなんだろう?

そこで一度どん底までおちたら、全部どうでもよくなっちゃったんだよね。

愛って他人しか生成できないものなの?とか
自分で自分を愛するってどういうことなの?とか
色々考えたけど、結局何考えてるか分からない他人の頭の中を想像したり、ひとつの正解を探そうともがくことって、自分が頑張るべきことの範疇を超えてるんだよね。
私を大切にするかは他人の課題だし、その上で自分がどうしていきたいかをみんな自分で決めるしかないんだって。


本当の悪人って、きっと頭がいいと思う。
矢面に立って周りの目を気にせず人を傷つけたりするような、いわゆるヴィランとして生きてる人ってきっと人生の中でなにかがあってその形を取らざるを得なくなっただけというか、生きるための手段として人を傷つけることを選んでしまったような、そんな感じがする。

でもほんとうの悪人、(学問用語でフレネミーとかエナジーバンパイアと呼ばれる人たちだね)、手段ではなく目的に人を傷つけることがあるひとは、搾取側とそうでない側をはっきり分けて、徹底的に生産と贈り物として、自給自足している。だからそうでない側はその事実を目にすることは無いし、ある程度の人望がある。

私が与えることで優しいねって私の近くにいてくれた人は、私を搾取側と振り分けてただけの人もいたってこと。

そこに気付いてしまって、搾取側でいることをやめた。
初めから搾取側に振り分けられないような人には悪人は近づいてこないし、そうでない側として振り分けるだろう。でも先天的にではなく後天的にそうでない側に転身した人間のことを悪人はどう思う?

許せないよね。生意気だし。

だから、悪人(私にとって離れるべき人)であるか否かの境界線はそこにある。
私はこう思ってるよ、っていうその人にイエスマンになるだけじゃなく、フェアな意見交換を初めてしてみる。その時にヒステリックを起こしいきり立ったら、あー、今まで通り都合よく使えなくなっちゃったからパニックになってるんだって。

嬉しいことに、それまで通り私を認めてそばに居てくれるひとが大半だ。ギブしまくるのは良くなかったけど、そんな私のかつての美徳をほんとうに尊敬してくれてた人もちゃんといた。

あくまでここでお話していることは私の自論に過ぎなくて、私の主観的な世界のお話。
人は主観的な世界でしか生きられないし、世界の見方はいつだって自由に変えることができる。
悪人か否かか判断するなんて、そんな殺伐とした世界にいて楽しいか?ってきっと思われてると思う。でも、ちゃんとそこを分けておかないと、本当に私がギブすべき人を見逃してしまう気がするから。

真実はいつもひとつ!なんてよく言いますけどね、絶対違うよ。一つの真実があるんじゃなくて、人の数だけ主観の世界があるだけ。だから、一つの真実にむけて自分が正しいとかお前は間違ってるとか言うんじゃなくて、君から見えている世界はそうだったんだね、じゃあ私から見えていた世界がこうだった訳はそこの違いから来ているってことか、と理解しようとする姿勢を見せなきゃ人とは分かり合えないよ。

みんなと分かり合いたいよ。でも、真実はひとつでお前は間違ってるっていう考えをおまえが変えてくれないのなら、私は自分を認めてあげて生きていくために、おまえから離れていくしかないんだよ。

自分をいつでも大切にね!そしたら自然と周りの人に本当の優しさをギブしてあげられる時がくると思う。他人のために自分を削らないで。本当の、お前のためにはその先にしかきっとないから。


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