怒り2のコピー

三毒のうち瞋(しん=怒り)について

【瞋】という漢字(白川静説)

【瞋】(しん)顚屍(てんし=不慮の死を遂げた)した人が目に怨恨の情を含む。県は首を逆さまにした形で、匕はその首を逆さまに掛ける形。眞(=真)とは死者。それはもはや化することのないものであるから、永遠にして真実なるもの。この真の字は中国思想が到達した結晶である。

眞(=真)は顚屍(てんし)の象

お葬式読本〜逆さ事とは〜

真実に対する怒り。それは毒である。

】奴は女と又(手)の形。女を捕らえ、不自由化し奴隷にする。これに心が入ると激しく人を責める心情となる。努は力(スキ=農具)を与える形。

ユダヤ・キリスト教のエピソードで怒りに関係するエピソードを二つ連想する。ひとつは出エジプト記の序盤。若きモーセがヘブライ人奴隷を虐めていたエジプト人を殴り殺して荒野に逃げる話。もうひとつのヨブ記は、神とサタンがヨブの信仰心を試すためにヨブの妻子、財産を次々に奪い、しまいにヨブが神に対してキレる話。

TED/カイラシュ・サティーアーティ/怒りで世界に平和をもたらす方法

ぼくの心のヒーロー『火の鳥〜鳳凰編〜』の我王も怒りの人である。目の前の茜丸の二本の腕に怒り、年貢の米を朝廷に収める旅の途中で餓死する人を見て怒る。世界の仕組み、社会の仕組みに怒りまくって暴れている。その怒りに読者は乗る。

7つの大罪をテーマにした映画『セブン』の結末にも忿怒の罪がある。アクション映画の多くには復讐がある。客を怒らせて、それを昇華するのだ。

恐らく「怒り」は群れを作る動物のDNAに備わっている。たくさんの事象を見て「普通の生活」を作り出す。それを脅かす外部の者、内部の者を排除することで「普通の生活」を作り出したという実感を持つ。しかし、排除した者は「たくさんの事象」に含まれなくなるので見えなくなる。データが取れなくなる。

死が当たり前すぎる生物にも「怒り」はあるんだろうか?大量に生まれ、大量に食べられる魚とか。動物ドキュメンタリーなんかを見ていると「恐れ」は確実にあるように見える。子供や卵を守っている親魚は、捕食しようとしてくる大魚を威嚇し、追い回す。ここには「怒り」があるように思える。

『進撃の巨人』の主人公エレンも怒りの人だ。同時に諦めない人でもある。幼馴染のミカサは、常にエレンより一瞬だけ諦めが早い。この世の真実をエレンより一瞬早く受け入れるのだ。

寺田克也の『大猿王』の主人公、孫悟空はシャカに喧嘩を挑む猿だ。諦念すること、明らかにすること、心を落ち着かせ安らがせること。これに喧嘩を売るのだ。意思を持った生命は、死という真実を受け入れないことを意思そのもの、生命そのものとする。諦めることを諦める。

諦める vs 諦めない


諦める先にあるとされる知性や生命力は、本当に、諦めない知性や生命力よりも強いのか?
三毒に導かれ、三蔵法師の旅が始まる。

掲示板で使えるモンスターアイコンが増えるよ。