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三毒のうち貧(とん=貪欲)について


椎名林檎のニューアルバム『三毒史〜鶏と蛇と豚〜』を記念して、ぼくも三毒について考えてみる。チベット密教では鶏・蛇・豚で例えられているが、西遊記の孫悟空・猪八戒・沙悟浄も三毒の象徴なのでは?という説で話を進める。

三毒とは仏教が克服すべきと考える根本的な三つの煩悩だ。

【貪】/とん/貪欲/鶏/猪八戒
/じん/瞋恚、怒り、感情/蛇/孫悟空
/ち/ 愚癡、愚かさ/豚/沙悟浄

欲望も感情も、自分がやっていることは正しいと決めるのも、生きるのに必須に思える。もちろん過剰な三毒は生きるのを辛くするだろうが・・・。

【貧】という漢字

ヒトは言葉でモノゴトを考える。
ので、その道具である言葉の意味を知っておきたい。
そんなとき、ぼくは白川静の『字統』を使う。
この辞書を引くと「そうだったのか!」によく出会えるからだ。
(漢字学者の間では漢字の起源を神への祈祷に寄せすぎとの評判。フロイトが全ての心理をセックスに結びつけちゃうみたいな感じ?)

今日は【】と【】だ。

【貧】(むさぼり)あとで困るほど財産を使い果たしてしまうこと。あとで体を壊すほど飲んだり食べたりしちゃう。「貝を分けると貧しくなる」の象形だと思われる。財産を次男、三男に分散させれば、みんなが先細ってみんなが死ぬ。だから長男に集中させる。しかし飢えを克服できるまで技術が高まれば「再分配が全体の豊穣に繋がる」という考えも産まれる。

【欲】谷は容器を、欠は口を開けて待つ人の象形。つまり口を開けて、早く俺の胃袋を満たせ!と鳴く雛のイメージか?この俺ファースト力が強い個体が生き残る確率は高いだろう。しかし、このマインドのまま技術が高まると環境全体が貧しくなる局面もでてくる。

これらの考えがマダラ模様になっているのが現実世界だろう。富が一極集中しているらしいが「人間社会」の貧困や差別や犯罪が全体的には減っているのも事実だ。

動植物たちの自然環境全体は豊かになっているのか貧しくなっているのかは解らない。江戸時代は薪にするため山は禿山ばかりだったらしいが、現在の日本の山は種類・量ともに江戸時代より豊からしい。しかし、秋田の杉は国の政策で大量に植えられ、しかし海外からの安い材木に押されて、商品になっていない。森に入ると立派な杉林が延々と続いている。これが豊かな山なのか?豊かな植林産業なのか?熊や鹿などの動物たちが豊かさの中にあるのかは、よく解らない。これらに関しては林業や狩猟をしている人に聞くしかない。

心貧しき者は幸いである


貧/むさぼり/まずしさ】についてもっと考えてみる。

聖書にはぼくを悩ませる不思議な言葉がたくさんある。例えば「右の頬を打たれたら左の頬をも差し出せ」とか。一見すればただの大バカだが、これを言わなきゃならないほど民族や階級の緊張が、双方を滅ぼしかねない状況があったらしい。

もうひとつは心貧しき者は幸いであるだ。心豊かな者が幸いだっていうんだったら解る。そりゃそうだってくらい解る。

ヘブライ語を日本語に訳しているので、その言葉に込めれているイメージがズレているから理解が困難になっているだけなのかもしれない。が、ぼくたちは他にも似た味をしたセリフを知っている。親鸞の「善人なおもて往生をとぐ,いはんや悪人をや」とか、ソクラテスの「無知の知」とかだ。

「自分が善人だと感じている人間でも浄土にいけるのだから、自分が悪人だと正確に認識できる人間なら、なおさら浄土にいける。」「自分が賢いと思っている人間より、自分が愚かであることを知っている人間の方が賢い」なんて意味だと思われる。

この文脈でいけば心貧しき者は幸いであるは「自分の心がむさぼりの真っ只中にいて、貧しいと認識できる人間は、豊かな知恵に囲まれた幸運な環境の中にいる」という意味に読める。・・・う〜ん、ちょっと違うか。

やつらの足音のバラード


ちょっと最初から考えてみよう。
まったくなんにもない宇宙に星がひとつ生まれた。
火の玉だった星はやがて冷え、岩になり、雨がふり、海になる。
様々な化学変化が進む。物理力学が進む。風や雷などの科学現象が発生する。

その中から生命が生まれる。太陽光や地熱や他の物質を取り込み、自分を構成する成分に変化させ次第に大きくなる。そして自分をコピーし、分裂し始める。なぜかは解らない。宇宙力学の当然の結露かもしれないし、ただのバグかもしれない。

生物は獲物を求め明るい場所を探索し、敵を避け暗い場所にジッと隠れる。食べたい!食べられたくない!そんな欲求を持つものが動物となる。(植物は食べられることで生息圏を広げる戦略らしい。マジか?!)

欲望は生命そのもののようにも感じられる。目の前のモノが食料か敵かを識別するのも生命の力だ。その力はDNAは少しずつ積まれ、少しずつ鋭くなる。

その中から人間が生まれ、言葉が生まれ、世界全体を認識しようとする力になった。(声は全ての人種が獲得しているが、文字を持たない民族もいる。文字には野生生物であることを逸脱しようとする傲慢さがあるからか?)

遺伝子と模倣子


模倣子は文化の中の遺伝子のようなものだ。口伝や祭りや書物の中に、世界全体を認識しようとする力を少しづつ積んできた。そして銀河の形を知り、銀河の外にも銀河があることを知り、遺伝子の形を知り、心理や行動のパターンを熟知し操作するレベルにまで到達した。

この力は遺伝子に刻まれているから発生したと考えるよりは、模倣子が掴んだ結果だと思える。発声は遺伝子の恩恵だが、文字は模倣子の恩恵だ。そして科学的な認識力は文字や記号や図形の恩恵が大きい。

ぼくは心臓や胃腸や生殖器の方が、文字よりも生命力が強いと思ってきた。心臓は休むことなく動いてくれるし、胃腸はタンパク質やビタミンを生きるエネルギーに変えてくれる。それに引き換え文字は、あるっちゃあるし、ないっちゃない。なんだか弱そうだ。

しかし、文字や口伝が作った巨大な文化の体系に、遺伝子が積んできた生存戦略よりも大きな生命力を感じる瞬間がある。地球環境全体を認識し、守りえる智慧の体系。その知恵を生命の欲望と組み合わせて、機能する仕組みを作利上げ、ぼくたちはその中で育む。

もちろん知恵の体系は、核やネットやAIなども産み、人類に巨大な幸運と破滅の罠を見せてくれた。しかし、大量の電気や情報を供給してくれるし、巨大隕石をぶっ壊して地球を救う、または宇宙に脱出できる可能性も見せてくれた。(・・・映画だが)

そもそも生命とはなんだ?生存戦略とはなんだ?
宇宙は欲望や戦略や認識を生むために産まれたのか?
それともそれらも、ただのバグなのか?

三毒に追い立てられ、三蔵法師は砂漠の向こうの天竺を目指す。




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