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嫌悪感を抱くほどの価値観の違いに対して

 私は、わりと価値観の違うところをたくさん通ってきました。すごく分かりやすく言えば、右翼的なところから左翼的なところ。また、右翼的なところ。あっち行け!と言われたか、と思えば、次は真逆、みたいなところです。意見を言わなければいけないところから、言わない方がいいところ。自分が主導権握るか、それとも受け身的立場か。その都度、わりによく言われたのは、順応性の高さです。わりに、知らん間に馴染んでしまっていたりします。

 それは一つには、自分なりのここまで、というしっかりしたラインを超えるまでは、学ぼうと思ってきたからです。違う価値観のほうが視野が広がりやすいし、ある程度理不尽なくらいのほうが、学ぶことが大きいからです。

 今だって、私には、超理不尽なことがあり、それをある意味神様から、なんやらわからない、法則めいたものに、人質みたいにされているから、私は頑張れている、というものも抱えています。怒ること、あるいは、違う手段に出て、行動することも不可能ではないけど、そういう方法、って、あまり好きではありませんから。事理が至る、実は時理が至る、という言葉のほうが好きですが、何をしようと、時理がいたるのを待つ方が自然だから。人為なんて、たかがしれているからです。

 実は、昨年から、あまり得意でない分野の勉強のために出入りしている場があります。好きか?と問われたら、かなり真逆でしょう。ただし、合っていないか?と問われたら、着実に、その勉強の結果は出ているのです。価値観違うのに、結果は出てる。何?これ。

 自分だけでやるには、限界がきているのは、もうずいぶん前からわかっていました。だから、幾分無理をして、勉強しています。その中身自体は、別に無理でもなんでもないでしょう。

 どこの世界にでもつきもの。苦手とする話題。自分があまり好きではないことが、逆に好きな人もいるはずです。でも、苦しい。それに勘は鋭いほうだから、何かあるな、というのは感じていたり。

 さてさて、成長するのには、ある程度しんどさがつきもの、説を採用するか?今流行りの、自分に合わないことは、やめとく、説を採用するか?

 ちょっと顔出しては、ぶっ倒れ、ひどいときには、泊まった先で、枕投げつけるほどイライラし、ひどいときには、ホテルで吐きました。あ、今気付いた。今回は、表面上だけかもしれないけど、わりとニッコリ笑って、帰って来れました。大人になれよ、と自分を宥め、朝起きて、サッサと旅を楽しむことをし、夜、明日朝、脱走してやれ!と思っていたのは、まあまあなんとかなり、地元への指示も出し、今気付いた。ああ、私、成長してる!

 この人の、ここは、いただく。こっちは知らない。そういう大人の対応できる自分になりたいし、でも、ちょっとできてきているのかもしれないなあ。

 最近流行りの、自分をちょっと褒めてあげよう!みんな、褒めて!出ました!最近得意な言葉。

 よく弟子や生徒に言います。ねえ、褒めて❣️って。今日は、たくさんたくさん褒めてもらおう。

 弟子は、心配で、着いて来ようとしてくれました。いや、俺、ただ寿司食べたくなったんですよ!って。でも、一人で行けたし!ヤッター!

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