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大学受験指導が終わってあっか―としている私。

一部私大の受験が残っていたので、国公立は合格したけれどちょっと受験しに行っている受験生は別にして、というか私の方は受験指導を終えた。

ということであっかー(富山弁で心が晴れやかになっていることを言う。)としている。
自分のときの大学受験もそうだったけれど、すべての受験が終わり、帰宅するときの空の青さったらなかった。
これだけ大学受験に、もっと言うなら受験なんかで三年間、これほど重たい思いをしていたのか?とびっくりするほど晴れやかだった。

合格した受験生たちは、春は遊びに行くようである。
ちょっとバイトを振ったけれど、それにちょっと助けてもらおうかな?と思ったけれど、県外に行く友達と遊びたいとかで、指導の方は振られた。
他のことはやってくれる学生がちらほら。
とはいえ私の方はそろそろ春期講習を始めなければならない。
あちこちからプッシュされている。

毎年、ちょっとはゆっくりできる春を夢見ていたりするけれど、そして今年はちょっとだけ家族旅行をするけれど、結局一学期の中間考査くらいまでは気が抜けないことになる。これは本当はとっても感謝しなければならないことである。
でも、その年によっては、そうそう元気ではないこともある。
今年の受験生たちは、それぞれ納得の結果だったし、本当にここまで結構ちゃんと導いてきたという実感がある。

合否だけではないここまでの道のりが、私を納得させている。
それに、昨日悟りを開いた。

あることの全貌がわかり、ああ、ここまでできる人がいるんだなあ・・・、と思った。ショックも受けた。びっくりもした。そしてあまりのことに唖然とした。
これって、構成しようとしたら、何だったら問題化できることである。

この後、今まで不徳を積ませてしまった分、少しは何かを伝えられるように努力しなければ、と思っている。
どれほどのことができるかわからないけれど、年端も行かない(出会った頃は14才だった。)女の子に、私に隙があったからか、とんでもないことをさせてしまった。
威嚇して、自分の思い通りにさせる。それもお金に絡んで。
それこそ、あっかーとして生きてきたお嬢さんにはできないことである。
彼女の人生が、きっと張り詰めた、おっとりしたものではなかったからやってしまったことだろう。
自分に隙があった、と思い詰めたけれど、逆に私のところに来てやっていたことがバレて、そのために私が彼女になにがしかのことを伝えなければ、それは違うと言わなくては、ということになったのならば、これも縁かもしれない。

昔お世話になった先輩方のお顔を思い浮かべてみた。
お電話してご相談してみようか?とも思ったけれど、

そんなことで悩むなんて、お前若いなあ・・・。

とでも言われそうだったので、お一人お一人のお顔を思い浮かべて、私がご相談したとしたら何とおっしゃるかということを考えてみた。

東京の有名な大学をトップでご卒業された国語科の先輩なら、

そういう人は、自分でやったことを刈り取っていくんだ。そこに誰がいたかなんて関係ないんだ。そういう人なんだから。

と言われそうである。私についての責任など触れられないような気がする。

大学の先輩であるN先生とI先生は、きっともっと温情のあるお答えになりそうである。そこは関西?

そいつも必死やったんやろなあ・・・。親も必死になるのもわかるような気もするなあ。そら限界やったら辞めさせなしょうないやろけど、お前がもつんやったら、そばにいたって、ときどき目覚めさせるようなことをちょっとずつ言うてやったら、ちょっとはましになるかもしれんなあ。
どっちみちそんなやつ、受験しても落ちると思うけどなあ・・・。

大先輩のもう亡くなられた大学院は私の母校をお出になった学者の先輩は、

きっとその子も大変なんだと思うよ。自分の人生を切り開こうと思って・・・。
お金で解決すると思っているんだろうね。
そこは先生のお人柄で、できたらお付き合いしてやったら?

と言われそうである。
この学者先生は、よく何かあると、

そこは先生のお人柄で・・・。

と言ってくださったものだった。
他の先生方にとっては、飛びあがるほどの怖ーい先生だったのに、私にはなんだか人物的な信頼があったようだった。
それというのも、学園中響き渡っていたわがまま娘(当時すでに立派なおばさま)と仲良くやっていると思われた(実際は比較的うまく操縦していたということだった?)らしく、結婚式でも、

私の方が年だけは取ってますが、私なんかより真弓さんの方がずっと人間ができていて・・・。

などと言ってくださっていた。
人間としての出来よりも、私の中の悩み事の方が大事である。
でも、悩みを悩みとして処理していたのでは教師ではない。
経営者としてなら、さっさと辞めてほしかった。
けど、教師としての私の内心がそれを許していない。

そんなことで切るの?大組織の学校ではないよ?

自分の中の声が言っているようだった。

めずらしくタロットカードなどを引いてみた。それも数日。数回。
何度引いても、

ちゃんと付き合いなさい。

と出て来る。

相手に何度言ってもわからないかもしれないけれど、でもむしろ入っていくように・・・。

というカードになる。
基本的に占いを信じない私が、信じることにしたのは、ある人からの思いが、○○である、と何回も同じものが出て(間違っても色恋沙汰ではなくて。)、それを信じてみたかったから、その結果を破棄することができなかったからである。

そのカードがなかったら、バシッと切っていただろう。
今までだって、これはその子にとっても、教室にとっても良くないと思ったときには、妥協せずに退塾させてきた。

でも、違うのか・・・。どうすればいいのだろうか?

と考えた。

とりあえずは様子を見よう。
そこは教師である。

まあね。自分の感情は横に置いておいて。

またまた私の態度から、騙せている・・・、と思わせては罪ごとになりそうだけれど。

でも、まあ、そこは手綱の引き具合。
もう少し頑張ってみようかな。

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