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なんでも本当のことを言えばいいものでもないな、と思ったこと

 一応、国語の教師なので、一つの物事を、ただ一側面からではなくて、違う側面からの言いようもあるということも知っているつもりである。

 なんでも率直に言えばいいものではないことなど、また、言ってしまえば、もうそこで終わる関係性もあるということを、経験的に知っている。だから、時折怖くなる表現もある。

 決して悪気もなく、ある意味ピュアなのかもしれないけれど、そこまで正直に言ってしまったら、後で関係修復するのが難しいだろうと思う関係はある。

 誰だって、どんな立場だって、そこまで言ってしまうのはよくない、ということもある。

 私も、いろんな人に、許してきていただいたのだろうと思う。どちらかというと結構思い詰めるタイプだし、簡単に、なんとも思わずに、売り言葉に買い言葉的には言葉を発することができない。だから、出てきた言葉には、それぞれの思いが籠っていると思っている。

 言葉を扱う仕事だから、言葉の怖さも痛いほどに知っている。そういう表現をしてしまったら、絶対許されないこともあるだろうことも知っている。

 昨日、ある専門家の方から、ためらいながらも、ある意味本質的なことをお聴きした。それは、私にとってはありがたいことだったから、ありがたく受け止めた。

 けれど、自分の心の揺れを、自分の揺れそのままに言ってしまったら、まとめることもしなければ、もう、それは相手にどう伝わるかはわからない。

 長い目で見る、ということがある。その先、どんなふうに関わっていくかわからない人に、あまりに過激な言葉を言ってしまったら、もうおしまい、ということもある。

 例えば、自分が離れたい、と思っているのに、離れてくれない時。あまりに身勝手な要求をされたときなどは、仕方がないだろうと思う。

 つまりは相手が、相当に失礼なことをしている場合である。

 例えば、私は経営者としては、いまだに初心者だと思っているから、もしかしたら、そちら方面では失礼なことの一つや二つしているのかもしれない。

 けれど、どうしても、そういうことは内輪で話し合ってから、しっかり決めてから、外部に話さなければならない、ということもあるだろうと思う。

 選択権がいつも自分の手中にだけあるとは限らない、たとえお金を払う側であったとしても、この人のためにお洋服を作りたくはない、お家を建てたくはない、ということもあるだろう。

 今気づいたけれど、それは言った時点で終わり、という言葉ってあるものだと思う。関係性、バチッ!?みたいな。(笑)

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