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幼いかもしれないけど、正直が好きです。

どうもはっきりしない人が好きではありません。
こちらが質問しているときに、ノリノリな返答だというのに、いざとなると、ご自分ではない誰かにそうではない方向に持っていかれる・・・、こういうの、正直疲れます。
理由をはっきり言って、違う返事になってもいいから、ちゃんと答えてくれればこちらは納得するというのに。
第一、その構造は大抵の場合透けて見えることが多いものです。

嫌われたくないのか、あるいはメンツか、他の誰かのせいにして、答えておいて、結局はどこかで、察したこちらが謝らなくてはならない形になってくる。
そういうの、結局誰かを傷つけることになるし、自分ばかりがいい子になっているようで嫌いです。

私は潔い人が好きです。
できるならできる。できないならできない。

そういうのをうやむやにしてしまったら、あとあとの人間関係まで影響します。
正直に言ってくれたなら、こちらも対処できるというもの。

ハッキリしない話と言えば、結婚の準備をしていた頃を思い出します。長女が生まれたときのことも。
婚家と実家の地方が違っていたため、最初、

そんなに荷物をしなくてもいい・・・。

と言っておられたのに、お義父さんの言葉とは裏腹に、ちょっとずつ夫を通して、お義母さんからあれこれ要求があり、いったいどうすればいいのか随分悩まされたものでした。
娘の出産のときは、娘をお腹に抱えて、さて今から里帰りというときに、サラッと言われたお義母さんの言葉が突き刺さり、私はずいぶんな思いをしたものでした。
察した両親があれこれしてくれたので、結局何も言うこともできなかったというのが実情のようですが、結局してもダメ、しなくてもダメ、本当にどうしていいのかわからないことを言われて病んだものでした。

そういうタイプ、私は苦手です。
誰かの心を揉めさせるというのは私は苦手です。
ただでさえ、自分より年若い娘を、それも臨月の娘に、あれこれ嫌な思いをさせるなんて、私にはできません。

何かに大阪はハッキリ言うという文化なのかもしれません。
だからこちらに来て、特別ではなく、地方性だろうと思っていました。
ところが、地方性という言葉に集約されるのではなくて、所詮行きつくところ、その人の性質ということになると思います。
同じハッキリしないというのでも、相手を思ってのハッキリしないのと、相手の心を翻弄し、できれば自分の思うように持って行こうとするのは違うと思います。もっというなら、どっちに転んでも嫌なことを言う余地を残すというのは最も卑怯だし、どの道自分のせいにせず、相手に責任を負わせるというのは最低だと思います。

こういうの、しっかりハラスメントではないし、それこそ何かやったという証拠はないけれど、相手の心を相当痛めつけるという点では、そしてそれが長期間にわたって気持ちがおかしくなるような行為なら立派な傷害罪にも通じると思います。

だから私は、できることなら自分より若い世代よりは自分がちゃんと責任をとることができるようにしていたいと思います。

誰でも精神的負担を負いたくない。
でも自分のところの事情を誰かに負わせるというのは本当に良くないと思います。

この件については、分析をしてから、また書きたいと思います。

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