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ある人の一言ー「よく残っていただいて・・・。」

 昨日、ある方が、私がずっと、今の土地にいることを、ほかのところに行く機会があったけれど、もう、自分だけは、ここに残ることにしたことについて、「よく残っていただいて・・・。」と言ってくださって、本当に嬉しく思いました。

 都会育ちの私が、確かに最初、あるいは転勤先から帰ってきてからもしばらく、馴染めていたか?と言われれば、戸惑っていた時期を思い出さざるを得ません。

 でも、息子がこちらで幼稚園に入ったころから、少しずつお友達が増えて、ここの土地の良さがわかってきたのです。それから、ちょっぴり「ここは○○だから。」という言葉を鵜呑みにして、本当に自分が努力してきたような気もして、エーッ!?と思う頃には、すっかり自分の、ここの土地で生きていくなんらかの感じを身に着けていたらしいのです。

 私は、ここの土地柄である、シャイだけれど、本当はじんわり温かいものをもっている、そして、粘り強く努力する、丁寧な仕事をされる性質を、いつの間にか本当に愛してしまっています。

 大阪から来た、という言葉にひるまなくなり、いつの間にか、そう表現されたとしても、気にならないし、むしろ周りがそんな表現されなくなって、本当に久しくなりました。

 そして、転勤先でのことを思い出すたび、どこへ行こうが、おんなじ、と思うようになりました。

 最初は、自分の価値観や、コミュニケーションの方法でいろいろやってみますが、そのうち、その場所のやり方に慣れ、そうしてそこでの生活が楽しくなるのです。もちろん、最初は戸惑うのは当たり前です。

 そんなことを実感して、結構長い時間が過ぎて、ある時、指導で使った英文の中で、人が外国に行った時の、四段階だか五段階のステップについて書いてある文章を読んで、「あー、これ、私のことだ!」と思いました。

 最初は、すべてが面白い。その次に、だんだん生活するのに不自由になってくる。次は、ホームシックに掛かり、その土地の人の悪口も言うかもしれない。そのうちに慣れてきて、ここもいいところだ、と思い始める。そうして、その次には、自分の国に帰るときには、何か、そこでのことを感じさせるものを持って行く・・・。

 確かに、大阪の実家に帰ったときの方が、高岡の言葉をしゃべっています。もしけんかをするようなことがあれば、富山弁の方が、感情が入ります。だから、本気で生徒を叱りつけるときは、なぜか、富山弁。

 きっと、自分のアイデンティティーに、とっても関わっているのでしょう。なんで大阪に行くときほど、富山弁を話してしまうしまうのか・・・。

 このアイデンティティー問題に関わって、私に恨みを買っている人がいて、申し訳ないようなものなのですが、あまりにも、コテコテの大阪弁で話し掛けられて、しかも、大阪市内生まれの私の大阪人的要素を呼び覚まされて、勝手に怒ってしまったことがあって、大変に申し訳なく思いつつ、ああ、それほどいつの間にか、富山が好きになっていたのだなあ、と実感するきっかけになりました。

 昨日は、「まだまだ、役に立たないと・・・。」とお話したところ、「今だって十分役に立ってますよ。」と言っていただけて、本当に嬉しかったのです。

 高岡に残ることを決めて、ここで、自分のずっとやってきた教育活動をすることに決めて、できることなら、よそからやってきた私を、温かく見守ってくださった方々への感謝を込めて、少しでもお役に立ちたいと思っています。


もしもサポートしていただけましたら、そのお金は文章を書いて人の役に立つための経験に使います。よろしくお願いいたします。この文章はサポートについて何も知らなかった私に、知らないうちにサポートしてくださった方のおかげで書いています。