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源氏と藤壺ー『源氏物語』紅葉賀

関西大学の過去問演習の古文で、『源氏物語』の「紅葉賀」があった。
私は、この二人の関係ほど、物思いの種となり、でも一方、どれほど愛し合っていたかを語るものであり、そして何より女性のどうしようもない強さを表しているものはないと思っている。
すべての男女の愛は、この二人の関係で語れるのではないか?と思われる。
なぜなら、女性の方が8歳も年上で、そして大不倫であり、それも父の奥さん、つまりは義理の母との関係であり、そして絶対に外に漏れてはいけない関係で、そして、関係を結んだ後の長い間は思い切りプラトニックである。なぜなら、桐壺院亡き後、すぐに若い身で、藤壺は出家してしまうので、手を出す余地がなかったから。この、すっと自覚のある藤壺の強さが私は好きである。

もし、たった一人尊敬し、大好きな女性は?と訊ねられたら、私は迷うことなく藤壺だと答える。
苦労知らずの皇女で、親ほどの年齢の天皇に嫁ぎ、たちまち寵妃となる。そのまま、親子ほど離れた夫に対して愛を感じたかどうかはわからないにしても、とりあえず安泰で、光源氏の母が身分が低い寵妃であるがためにいじめられたのとは違い、春宮の生母である弘徽殿の女御も手を出せないほどの重みである。

それなのに、一点の限りもない彼女の人生に、影を落とすのは、誰あろう、藤壺自身も愛していた光源氏である。言い寄られ、強引に関係をもった挙句に、子どもまで宿してしまう。
宮中の一大スキャンダルである。
宿敵弘徽殿の女御に知られたら、源氏ともども失脚する。
そして何より源氏との間に生まれた我が子、のちの冷泉帝までも失脚するlことになる。
ただのおっとりとした皇女が、愛する男性と我が子のためにとんでもなく強くなる。それこそ源氏からの愛があるからこそ頑張れるというものだろう。

この、愛してはいるが、どうしても靡いてはならないという女心。どこまでも強くあろうとして、何とか全うに自分の立場を守ろうとしながら、決して憎いわけではない源氏の思いを遠ざける彼女の思いはどんなものだったであろうか。

側にいながら、決して靡かない。そうはされても、これだってちゃんとした自立だと思う。

桐壺帝が、朱雀院に行幸するときに、源氏と永遠のライバルであり、義兄である頭中将が舞を舞うことになっているが、今回の行幸はことさら素晴らしいと思っている女御や更衣たちは残念がる。藤壺にも見せたい一心んで桐壺帝は、行幸の前に宮中の庭で舞を舞わせる。

源氏の子を身籠りながら、世間はみんな桐壺帝の子を宿した寵妃として藤壺を見つめている。そんな中で、彼女はドキドキしながら、源氏の舞う姿を見ている。頭中将も顔かたちも心映えも素晴らしい人であるのに、源氏と共に舞えば、花の隣にある深山木のようだとある。
また、父帝にも、あまりの源氏の素晴らしさから神に魅入られて由々しきことが起こらないかとの懸念からあちこちで御誦経をさせるというほどに源氏は美しい。
父帝の、甥でもある(頭中将の母、左大臣の奥方は桐壺帝の姉妹である。)頭中将についてもおおらかでのびやかでと言いながら、やはり源氏の素晴らしさについてはより評価が高い。どうであった?どうであった?と訊ねる桐壺帝に対して、

ことにはべりつ。

とばかり繰り返す藤壺。

翌朝、源氏から。

もの思う身で、とても舞を舞えるような状態ではありませんでしたが、あなた様のためにそでを振り払って待ったのですよ。私の気持ちはお察しいただけましたか・・・?

それに対して返歌をせずにはいられなかったのだろう。

遠い唐の国の舞についてはよくはわかりませんが、昨日の舞はしみじみと拝見したことでした・・・。

忍ぶことができなくて、つまりが我慢ができなくて、藤壺は返事をしてしまう。
でもその返事について、もう后の心構えでいらっしゃる・・・、とほほ笑むところは年下のくせにどこか藤壺を上から目線で、いじらしく思っているようで、ああ、この二人はまぎれもなく愛し合っていたのだなあ・・・、と思わされる。

この一瞬において、私はこの二人の愛が愛おしくなる。
凛としてきちんとしていて、一線を超えてもなお打ち解けない藤壺に対し、慎ましい方で、こんなに完璧な人はいないと思う。

いったい女性の完璧というのはどういうことを言うのだろうか?
藤壺はとんでもなく優秀な女性でもある。
でも、この可愛らしさ。8歳も年上なのに、源氏をして可愛いと思わせられるいじらしさ。
確かに完璧なのかもしれない。

立場のある人であっても、愛情の発露というのはほんの一瞬の感じとして顕れるのかもしれない。
この二人のこの場面のやり取りがとんでもなく好きである。

でもこのことがあるからこそ皇女藤壺の苦悩が始まるのであるし、このことがなければ、彼女は永遠に大人になることもなかったのかもしれないと思う。

たぶんこれからも藤壺についてはあれこれ書きたくなるだろう。
今日はここまで。

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