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健やかな毎日を、と思っていてもうまくいかなかった2月

激動の2月だった。

本当は穏やかに、健やかに毎日を過ごしたいのだけど、もともと体が先に悲鳴をあげる性分で、2月もまさにそれが起きた。

まだいける、がんばれると自分を信じて、強くあろうとした。
途中から、気持ちが破綻し始めたことに気が付いていたが、見て見ぬふりをした。

人生で初めて、入院した。一人で暮らしていて深夜の救急に行くこと、入院になることは、言葉通り心細かった。無機質な病院だけれど、病院にいる人々は温かく、救われた。私は痛みと疲労にむしばまれながらも、深夜でもそこで苦しむ人の為に働いている姿に、尊敬する気持ちがぼんやりと生まれていた。看護師さんから「急に痛くなって来たんだから、入院の準備できてなくて当たり前。不安だったでしょう。」と声をかけてもらった時は、泣きそうだった。眠りについたのは明け方だった。痛みと検査に疲れていつの間にか寝ていた、というのが正確だろう。

4日間で退院した。体力気力ともに落ちてしまい、家事もままならず、本当によく眠って過ごした。「もう大丈夫です」みたいなふりをして社会に出る気力すら残っていなかった。

身体の痛みで入院したが、もっと深刻だったのは精神的な落ち込みだった。自分の無茶がどれほど、自分を追い込んでいたか思い知った。家族の助けをかりて(感謝しかない)、ようやくいつもの毎日が戻って来た。

セルフケアを怠っていたのではなく、遊びも楽しくしていたが、それでは回復できないほどの負担が、自分に降り注いでしまったのだと、振り返る。そう考えると、自分の仕事も考え物だ。

今は、年始に書いた記事を気にかける余裕すらない。
強いていえば、8番に当てはまるのかな。

3月も中旬になり、ようやく振り返れるようになった。まだ通院中だ。こういうことがあると、手放すことも大事だなと思う。楽しくても趣味をいったん手放す、仕事を誰かに任せる、転職する、だとか。

心も体も飽和状態だった私はある意味幸せ者かもしれない。でもそれで体を壊しては、何もない。悔しくて悲しくて辛いだけ。だから、ある程度のところに気が付き、手放せるようになっていきたい。

またnoteの更新もしていけるようになるはず。
これも手放せてないのかな。

お読みいただきありがとうございました。

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