【慶應通信】慶應通信1年目が終わり
〜挨拶〜
ご無沙汰しております、ユキマチです、ヘッダー写真はお亡くなりになった飼い猫のマリン(19)です。
昨年度は様々な方と出会い、怒涛の1年となりました。
新年すぐ石川の方で大きな地震があったり、羽田で飛行機が炎上したり、
被災された方には心よりお見舞い申し上げます。
自分も熊本地震で財産を失ったり、実家が住むことが難しくなり、当時勤めていた職場で酷い言葉を投げかけられたり殴られたりと様々なことがありましたが、今現在こうして再び学びの道を辿る形で生き延びております。
さて、話は戻り昨年度を振り返り大きなイベントをピックアップすると下記の様になります。
4月:慶應義塾大学の通信教育課程にて文学部3類に合格する
7月:初の科目試験、手違いで受験できず
8月:夏スクで2期に参加
10月:2回目の科目試験、受験時間間違え受けれず
11月:博多オフ(福岡慶友会の方々と情報交換
12月:マンション契約(ローン2150万抱える
慶應通信を志した際は「必ずやり遂げて見せるんだ!」と意気込んでいましたが現実はかくも困難で…正直に言えば昨年度の学習状況と言えば絶望的でレポートも片手で数えるほどしか出しておりません。
働きながらでも、石に齧り付いてでも書くんだ!!そう意気込んではいたものの肉体労働に加えて体力が持たず、帰ってから食事をとり、風呂に入り、すぐに倒れる様に寝てしまうというコンボを決めていました。
こうして「勉強をしていない」「レポートを書いていない」という負の遺産が心の中に引っかかりストレスになってしまうという面白い状況を生み出してしまったのです。
もちろんこのストレスを取り払うにはレポートを書き、しっかり学ぶという行為をすれば良いのですが、できない1年になっていました。
結果、昨年度の取得単位は4単位(夏スク)のみ。
何をやっているのかねユキマチは。
Twitter(X)を見ると働きながらでも文句を言わずに真摯に学び歩む学友がいるというのに、いかに自分の掲げていた”理想”が遠く、自分の引っ提げた”覚悟”が甘いものかと強く認識させられた瞬間でした。
もちろん本年度はそういった事にならないように努めなければなりませんが、今やユキマチの言葉には一縷の信憑性もないもので、行動で示していかねばなりません。
しっかり計画と目標を設定して、昨年度より素晴らしい1年を積み重ねていきましょう。
〜30代を過ぎたら何者かになるという話〜
さて、本年度ですがTwitter(X)を見ていると、あるポストが目に入りました。
「30代を過ぎたら”何者か”にならないといけない」
もうこのポストを見つけることは叶いませんが、朧げな記憶を辿ると「30代を過ぎたら”何者か”にならないといけない、これは転職市場での価値の話で、社会に出て、20代の頃は社会の礼儀や働き方を学び、努力し、30代になったら一角の人物にならないといけない。30代という年齢は今まで培った能力がとても期待されている」といったものでした。
現在ユキマチ(31)はこのツイートを見た時「僕はどうかな」と考えましたが、とても一角の人物とは言い難く…
そもそもこのポストにおける一角の人物とは一体どういう人物を指すか。
・素晴らしい資格を持ち、その技量で食っていけるもの
・高度な技術をもち、職場で人を牽引できるもの
・転職においても需要があり、どこに行っても活躍できるもの。
などがパッと考えうるものでしょうかね。
自身の能力を批判的に見るとどうだろうか、お世辞にもユキマチは上記の要件を満たしておらず、ごく一般的より下というべきでしょう。
慶應通信を志したのも、言い換えれば”何者か”になるための挑戦です。
契約社員時代にコロナ禍で解雇を告げられ、転職活動をするもESすら通らず、悔しい思いを噛み締め、解雇寸前のところで首の皮一枚つながり(死んでる)、無事に正社員になったもののこのままでは行けない、自己研鑽を行う必要性があると、そうして選んだ学びの道のはずでした。
理想は未だ遥か遠く…
ですがもちろん諦めると言うことはしません。
この苦境や葛藤こそ成長の為の要因であり、慶應のブランドを背負うに足るかどうかの試練とも言えるのではないでしょうか。
入学することは優しいが(現在ではかなり難しくなっていると聞きます)、卒業することは困難と言われる慶應通信です。
何が自分に足りていないのか、しっかり見つめ直して対策を立てて勉学に取り組んでいきたいと思います。
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