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多摩川サイクリングロードの終点 〜阿蘇神社〜


⛩ 阿蘇神社

✿ 御祭神

健磐龍命たけいわたつのみこと
阿蘇都媛命あそつひめのみこと
速瓶玉命はやみかたまのみこと
国龍神くにたつのかみ
比咩御子神ひめのみこのかみ
彦御子神ひこみこのかみ
若比咩神わかひめのかみ
新彦神にいひこのかみ
新比咩神にいひめのかみ
若彦神わかひこのかみ
弥比咩神やひめのかみ
金凝神かなこりのかみ

✿ 御由緒

旧称は阿蘇大明神、竜水山阿蘇宮、または阿蘇宮と称した。創建は推古天皇九年(601)五月と伝えられ、領主武門の崇敬が厚く、平将門も社殿を造営したと伝えられる。以後藤原秀郷、三田掃部助定重もまた社殿を造営した。
小田原の北条氏は永二十貫文の神領を寄せ、徳川家康は、二丁四方の馬場を寄進、神馬を放ったという。さらに家光公は十三石の朱印地を寄せ、代々家例とした。
慶應四年(1866)朱印状を奉還、神領を上地した。明治政府より逓減録金五十円を下賜。
明治二年阿蘇神社と改称。当社は「和漢三才図絵」、「国華萬葉記」、「武蔵国全図」等の名所案内記に「阿蘇明神在羽村社領二十四石」とみえ、当地方の古社である。

阿蘇神社 公式サイト

✿ 所在地

住所・・・東京都羽村市羽加美4-6-23
アクセス・・・JR青梅線「羽村駅」または「小作駅」からタクシーにて約5分(徒歩20分)

⛩ 多摩川サイクリングロードの終点

✿ 拝殿

阿蘇神社は、郷土の発展の祖神、近隣の人々の守護、招福、安産の神として親しまれています。

東京では珍しい熊本県の阿蘇の神々を祀った神社!!
サイトを見ると、何柱もの神様の名がずらりと並んでいますが、どの神様もあまり聞き馴染みのない神様ばかり・・・なんか、新鮮(笑)

阿蘇神社を参拝したのは、今後、阿蘇で神事をするためのピースを回収しに来たのでした。阿蘇の神々については、調べたものを後ほど書きたいと思います。

✿ 手水舎

竹で作られた小ぶりで手作り感のある可愛らしい柄杓♡♡ 境内に竹林があったので、そこの竹を使っているのかしら?

そして、目の前に見えるのが多摩川です。
多摩川が流れるすぐ横に鎮座している当社は、羽田から続く多摩川サイクリングロードの終点としても注目を浴びているそうです。

多摩川からの心地好い氣(風)が境内を吹き抜けていました。

✿ シイの木

拝殿の左横には、阿蘇神社の御神木である巨大なシイの木が立っています。
このシイの木は、平将門を討った藤原秀郷が天慶3年(940年)頃に植樹したという伝説があるそうです。

✿ 摂末社

直日宮
阿蘇宮

✿ 絵馬

✿ 御朱印

御朱印をいただきました!
社務所はないようで、拝殿の前に御守りや御札などが置かれていて、御朱印も書き置きのものがあったので、中にいらした方にお声がけしたところ、直接書いてくださいました。

⛩ わたしの神事にちょこっとだけ、付き合ってくださいませんか?

✿ 平将門公のお導き

阿蘇神社を参拝する少し前のこと。
Xでわたしのnoteをポストしてくださっている方がいて、ポストされた記事が『#1.青梅と将門の誓い 〜天寧寺・勝沼城址〜』でした。
東京の青梅市で平将門ゆかりの地を巡った時のことを書いた記事です。

結構、前に書いたものだったので「なんでこのタイミングなのだろう?」と不思議に思っていたんだけど、阿蘇神社の御由緒を知って、「あっ・・・将門公がここへ呼んでくれたんだ!」とわかりました。

阿蘇神社なんですが、『平将門の子孫と称す三田氏が1536年(天文5年)に社殿を修復した』とありました。⬆の記事に登場する天寧寺は三田氏の創建、勝沼城は三田氏の居城であったとされています。

個人的に、平将門公と伊達政宗公は“パパ”って感じで親近感がめちゃくちゃあります。家系ではく、魂の系譜でね。
そう感じるのは、わたしの過去世が関係しているのでしょうが、そのくらい御縁があるというか、あちこちゆかりの地に行かされています(笑)

✿ 阿蘇の神々

どうして羽村市に阿蘇神社があるのだろう?と疑問でした。
阿蘇神社で祀られている神様は、九州の阿蘇神社の御祭神と同じです。そこに名を連ねる神々は建磐龍命の血族です。

阿蘇神社創建の逸話によると、多摩川が氾濫して里村が流された災害の後、老翁が現れて霊物(玉)を村人に授け「これを川に鎮めれば水害から救われる」と言いました。
村人たちはその言葉を信じ、その玉を恭しく祀ったことが始まりとされています。この時の老翁が主祭神である建磐龍命だったようです。

ちなみに、女神バージョンの逸話もありました!
推古帝朝時代に多摩川が氾濫した際に、阿蘇媛命という媼が現れ、水害を治めてくれたと伝えられる。そこで当地に神社を築いて神を祀った、と。

主祭神である建磐龍命とはどんな神様なのかというと。
もともとは京都出身で山城国宇治にいたそうです。祖父である神武天皇(この辺は諸説ありみたい)の命令で九州へとやって来ました。熊本の阿蘇神社の大宮司家は宇治氏を祖としている、建磐龍命の子孫。

建磐龍命はまず宮崎へと上陸し、宮崎神社を。その後に移動して幣立神社を建立。さらに旅を続けて、高森町草部で阿蘇都姫命を娶りました。そして阿蘇へ・・・
かなり大まかですが、こういった経緯があるようです。

今年は、「富士山(富士王朝)や国常立尊関連のお志事が多くなりそうだ」と前にも書きましたが、日本を代表する二大火山である“富士山”と“阿蘇山”を繋ぐものが何なのか。
レイライン?う〜ん・・・どちらも行ってみて、だけど、しっくりくる答え合わせが少しでもできるといいなぁ。

✿ 東の起点はどこか?

阿蘇神社が多摩川サイクリングロードの西の終点であるならば、まず起点があるはずだ。
調べてみると、起点は大田区の羽田空港近くの『旧穴守稲荷鳥居前』とあった。
そう、起点も神社の近くにあって、まるで東の穴守稲荷神社と西の阿蘇神社が繋がれているようで面白い。

穴守稲荷神社の御祭神は『豊受姫命』となっている。わたしはまだ参拝したことはありません。
そもそも稲荷と名のつく神社にはあまり縁がないんですよね・・・呼ばれない。摂末社として祀られている稲荷社には数え切れないほど参拝していますし、那須温泉の九尾の狐(殺生石)には特別ご縁がありましたけど。

昔、京都の伏見稲荷大社を参拝したことがありました。まだ本格的に神事に携わっていなかった頃です。
わたしの、京都と言えば・・・のイメージの中に伏見稲荷大社もあって、あの朱色の鳥居のトンネルを一目見たくて行ったのです。
参拝した時にはもう夕暮れで暗くなり始めていました。時間もよくなかったのかもしれません。
参拝した結果、わたしは境内で膝を痛めてしまいました。しばらくの間、階段の昇り降りや登山もきつかった。

神社やパワースポットにも相性がある、なんてよく言われますが、稲荷社との相性がいいのかと聞かれると、おそらく「う〜ん・・・」と答えてしまう。
相性というよりわたしが思うのは、信仰心のない観光客などが多い神社や、人が欲望のままに願掛けをしていく神社にはやはり穢れが溜まっていることが多い。

そしてそこには、神様やちゃんとした眷属神ではないものが居着いていることも多い。
御由緒ではなくて、その裏にある歴史や立地を調べてみると、穢れの原因となっているであろう納得できる理由が見つかることもある。

穴守稲荷神社・・・もし行かなければならないのなら、またメッセージが来るだろう。何かを繋ぎ直すのかな?覚えておこうと思う。

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