見出し画像

髪を染めた

真っ黒な私の地毛
両親譲りである

やんちゃな学校にいた私が髪に手をつけたのは中学生時代
まだ市販のヘアカラーが今ほど充実しておらず、美容院でカラーを施術してもらえること自体許してもらえる家柄ではない

オキシドールを使えば脱色できることを知り、ジャバジャバと髪にかけた
うっすらと脱色され、茶色く見えた…
脱色なので「染めた」わけではない

美容院で初めて染めたのは社会人になってから
いわゆる「社会人デビュー」

大学も服飾やデザインを扱っている学校にいながら黒を貫き通した
単にお金がないだけ
優先順位がお洋服で髪やメイクは2の次3の次だったのだ

社会をなめきっていた私は社風も度合いも分からず、美容師さんも「仕事大丈夫ですか?!」と言われた
「髪を染める」=オシャレになれるという思い込み
社会人の仲間入りという意識は一切ナシ

オレンジ系(単色)、トーンは10だったと記憶してる
眉毛は全く染めてなかったので(そういう概念が無かった)かなり浮いてた
その辺美意識が低く、メイクの薄さでミスマッチ

今思えば(地元では老舗)私服勤務で服装に関して規則が一切なく、緩い社風だった
髪色にも規定がない
ロリィタ・原宿系の名残りから00年代初期のギャルを取り入れたり
(ダメージデニムにピンヒールサンダル、ショートパンツ…酷い)
お嬢さんカワイイに目覚めたら巻き髪
自分軸ブレブレでやりたい放題

市販薬の種類や色が増え、大好きな矢沢あい先生(当時Paradise KissやNANA執筆中)がパッケージイラストを描いたHoyuのbeauteenも買ってセルフカラーも試した

お洋服の変化に伴い徐々にメイクが追い付き、美容院を変えた
何年も通っているうちにアシスタントだった子がスタイリストになり、トップスタイリストになる

ブリーチしていたので色はやりたい放題
オレンジ系一辺倒だったのが「肌白いしピンク系似合うんじゃない?」とスタイリストに言われ(現代でいうところの#パーソナルカラー で)
アッシュ・紫・ピンクなどのミックスカラーを提案してもらい、カラーチェンジを楽しむようになった
眉毛も染めた(+ブリーチ)

それもある時期を境に終わる
白髪の登場
年齢もあっただろうが、頻繁にカラーを繰り返していたツケだろうか
徐々に根元が白に…
初期はオシャレ染めで対応し8トーンくらいをキープしていたが、値段が高い
プリン髪も嫌だったが白髪のほうが10000000倍嫌だった
清潔感に欠けること、老けて(疲れて)見えること、手抜きをしているように見えること、全てが許せなかった
プリン時代より美容院に通う頻度アップ
オシャレがしたい一心でメッシュを入れることもあった

同じ年ごろ・年上の友だちはカラーを楽しんでいるのに自分は…
少しでも白髪が見えたらセルフカラーをするように
ただ自力では限界があり、後ろや襟足にムラが…
頻繁にやっていたので重なり黒いところと色が抜けた部分と白髪で悲惨
まだらになっているのが嫌になり再び美容院へ
かつて通っていた美容院は転居したため遠く、頻繁に通うには不便ということで自宅近隣のお店
一旦全て黒染めしてリセットし、伸びた毛は徐々に明るくしていきましょうという方向性になり今に至る

メイクの方が色づいてるかもしれない…
眉毛(パウダー)2色使い3色使いしているのに髪は1色でつまらない
インナーカラーや派手髪に憧れた
ウィッグやエクステを試しても年齢に抗うことができない…現実

3週間あけたいけれど気になるのでヘアマニキュア(10日持つ)、ファンデーション、パウダーを試したけれどどれもイマイチ

公務員に転職した時、窓口対応ではないけれど空気を読んだ
現在の職場はトーンの名言はないいけれど「(原則)黒髪」
自分的常識範囲内で6トーン
大人だし落ち着いてもいいかな、と割り切れるようにもなった
正直もう少し明るくしたいところではあるけれど、こればかりは仕方がない

#髪を染めた日 #体験談

日々の活動、noteや執筆活動の肥やしに…大切に使います。