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最近の学び

2023年春から1年間、地元の手話奉仕員講座を受講しています。

手話に興味を持ったキッカケはコンビニ勤務中、ろう者夫婦と出会った時のこと。
奥さんは手話のみ、旦那さんは手話+発声ができるレベルでした。
コンビニのレジは尋ねることが多い。
袋・お箸・スプーン・フォークの有無、温め、ポイントカード(アプリ)、コーヒー、フライヤー、焼き鳥、タバコ、宅配便受付、公共料金支払い、ネット販売受け渡しなどなど。
冬場なので中華まんやおでん(薬味をつけるか)もあります。
ほとんどのお客様は持ってきたもの+数品足す程度。
このお客様はフルオーダーでした。

ジェスチャーで応えようとしましたが、うまくコミュニケーションが取れず。
奥さんが明らかに機嫌が悪くなり手話で旦那さんに話し始めました。
(当時の察し、「この人わかってない」)
旦那さんがフォローしてくださいましたが、奥さんは怒り心頭。
足をダンダン!
これは相当怒っている?!
なんとか全てをご準備し、支払い、帰られました。

手話はともかく、足ダンダンは何だったんだろう?
耳が聴こえない方(聴こえにくい)方の困りとは?
どのようにしたら寄り添える?と考えるようになったタイミングで「手話奉仕員講座」の案内があり、これだ!と受講を決意。

転職活動とタイミングが重なったため、応募条件として手話講座の日はシフト休希望としました。

4月開講、高校生から70代まで幅広い年齢層の方が参加。
開講式が終わり、講座が始まりました。
厚生労働省手話奉仕員養成カリキュラムのテキストをメインに進めていきます。
(私の居住自治体は奉仕員としての心得えのため補助教材があります)
先生は地元のろう者と手話通訳士のペアです。
まずは自分の名前から…受講前に自分なりに勉強をし「私の名前は〇〇です」と表現できた方も。
意識が違う!

苗字や名前(単語)は応用がきくので学び始めにはうってつけです。
私の苗字はごくありふれた単語2文字なので覚えるのが楽でした。
他の方の苗字を組み合わせることで表現が広がります。

自己紹介の一環として各々が手話を学ぼうと思ったキッカケを話す機会も設けられ、私はコンビニでの経験を話しました。
前年放送されたドラマ「silent」の影響も大きいのですが、ろう者と触れ合った経験があった(ある)が大半でした。
過去に学校で手話を学んだことがあり、基礎はできるがサークル入会や手話通訳士を目指す条件としてこの手話奉仕員講座を修了しなければならないという決まりがあるそうで。
春なので新しく何かにチャレンジしたいという方もいました。

指文字が出てきて来なくなった人がいましたが、うちのクラスは家庭・仕事・学校の都合をつけ出席し続けています。
毎回振り返りの時間が設けられており、分からない時は周りの人や通訳士を通じてろう者に聞きます。
意識が高いというよりも積極的な方が多い印象ですね。

ろう者から学んで分かったこと

・手話はひとつの言語であること。
 (海外手話、方言、個人のクセもある)
・手話はコミュニケーションの手段だが正解ではない。
 筆談、口話、聴覚活用など複数の手段を交えた方が伝わりやすい。
・表情(目力も)や動作の大小でも言葉の真意や強さが変わります。
・ろう者でも(障がいの発症時期や教育歴によって)手話の習熟度はマチマチ。
 ※近年はスマホの普及でやり取りがしやすくなったそうです。
・聾学校で手話が禁じられていた時代があること。
 (一般社会で苦労しないようにという当時の配慮、先生がいない時は手話でお喋りしていたそうです)
・聾学校で学んだ人は独特の文法を用いた日本手話の手話、中途失聴者は日本語手話を好んで利用すること。

ろう者の工夫・願い

・チャイムなどはフラッシュやライトで対応。
・手話通訳士を通じたリレーサービスがあるが高額になるため、あまり利用されていない。
 (知り合いの聴者にお願いする)
・通訳士の病院同行は病状を知られたくないため遠慮しがち。
 (病気の発見が遅れる可能性がある)
・目覚ましはカーテンを開けて寝たり(日差しで目覚める)、
 現代はスマホのバイブ機能を活用している。
・(難聴の方は聴こえ方に差がある)補聴器は「音を全て拾ってしまい」、 
 会話のために使えるものではない。
 長時間の着用は苦痛であり、調整が難しい。
 補聴器をつけている=聴こえるではない。
 音として認識することはできても、言葉として認識できない。
・条件を整えることができれば運転免許証取得可能。
・子育ての工夫。
 (コーダ=ろう者の子ども・聴者の悩みでもある)
・緊急時、聴者ができる対応方法。
(事件・事故・火災・電車不通など)
・こちらが伝えたつもりになっていても、なんとなく分かっているフリをしている時がある。
・ワイワイ話している様子は羨ましく、置いていかれてる・寂しい感情は押し殺すことも。

挙げればキリがありませんが、生活していく上で困りごとは沢山あり、配慮してほしい場面は沢山あります。
ショッピング施設、文化・教養・娯楽施設、宿泊施設、飲食店、公共交通機関、銀行・郵便局、病院など…。
聴者(聴こえる人)の当たり前がどう困り、どう対応しているのか教わりました。
人によって求める手段が違うのでろう者に尋ねるしかありません。

手話を表現する時の注意

・はっきり、ゆっくり、要点を手短に長くなり過ぎないよう注意する。
 (全て目で捉えるので情報を整理)
・文節を区切り、適度な間合いを取る。
 (早いと読み取れない)
・服装(肌に近い色や柄物は避ける)。
・手話で表現できないことはジェスチャーでも可。

学び始めて間もなくどう表現したらいいか迷った時、「ろう者は勘がよいのでジェスチャーでもある程度通じるよ!」という話がありました。
(耳が聴こえない分、視力・頭をフル回転している)
聴こえないのであれば筆談で応じようという方が圧倒的多数だと思いますが、情報過多になるとお互いやり取りが大変になるのでジェスチャーや口の動きを活用するのもアリだと思いました。

同じ手話でも違う意味・ニュアンス違いが沢山あるので前後の内容をよく見る・表現すること。
表情や動きも含め手話のひとつです。

苦手な指文字の克服

手話がない言葉は指文字で補いますが、比較的新しい手法であるためご年配の方は分からない方が多い。
私も正直覚えられません。

今も覚えられず、苦戦していますが習得している方に覚えるコツを教わりました。
①童歌を指文字でやる。
②指文字しりとりをする。
「あ~ん」まで順番に覚えがちですが、その方法だと突然真ん中当たりを求められたときに分からない…に陥りがちです。
まさに私がソレでした。

指文字に限りませんが、手話はひとつの言語です。
使わなければ忘れます。
私と同じく過去に手話奉仕員講座を受講し、5年勉強した方でも学ぶこと・継続を辞めてしまうと思い出せなくなるようです。
(私の名前・趣味は~レベル)
繰り返し、継続の大切さは勉強中でも分かります。
新しい言葉が生まれると手話も増えるため(例:令和)、ろう者・通訳士・学習者ともにアップデートは必要になります。
若年のろう者は略しがち(聴者にもいえること)なので察する能力が更に必要になります。
難しく考えがちですが、え?それでいいの?という事が多く自分たちの視野の狭さや表現力のなさに驚かされる日々です。

外国語を我流で勉強されている方が、恥ずかしいのを理由にネイティブの方とやり取りをしていないという話されていました。
手話にもいえることで、教科書が正解ではありません。
迷った時はろう者に「この表現方法で伝わるか確認するように」と教わっています。

先日全国手話検定試験を受験し、合格しました。
手話通訳士ではなく、どの程度のコミュニケーション能力があるか問われるもので初歩の段階にすぎません。

ろうの方々は手話をいち言語として学ぼうとしてくれる姿勢や寄り添ってくれる心が嬉しいと言ってくれます。
足ダンダンの意味の理由を尋ねたところ「自分に注目を集めたい」アクションではないか?と聞きました。
(家族同士コードの可能性もあるので一概には言えない)
足踏みをすることで床に振動が起き、感情を伝える手段として用いてるそうです。

手話を学んでいるうちの気づき

これまでろう者の困りに視線がいきがちでしたが、ろう者の子ども(コーダ)の苦悩や困りに目がいくようになりました。
親子がろう者であれば、教育環境が違えどお互い補い合い分かり合えると思います。
ろう者のを親に持つ聴こえる子どもは親から言葉を教わる機会が持てません。
泣いても気づいてもらえないことがあります。
手話通訳者にならないといけないのか。
先生からうちの子どもは「家では手話を使うけれど、外では普通に喋っている」「こう喋っているよと手話で通訳してくれる」と聞きましたが、それが良しなのか…は当事者にしか分かりません。
当たり前・宿命として捉えているのか、嫌だと思うのか…。

「聴こえない母に訊きにいく」
この本が目線を変えるキッカケでした。
コーダ側を取り扱った映像や本も多くあることを知り、各々どういう気持ちで接しているのか。
聴こえない側、聴こえる側双方の気持ちに寄り添った学びをしていく必要性も感じました。

社会的弱者や障がいのある方に強い思いを抱く理由

私も精神障がいがある母(中途疾患)の子であり、母とは別の精神障がい当事者だからです。
幼かった私は病気に理解ができず心無い言葉をかけたり、挙動に嫌気がさしていました。
当事者となった今、自分の言動に恥じ申し訳ない気持ちでいっぱいです。
子どもの発言とはいえ、傷ついたと思います。
ですが、母は冷たく当たることはなく。
別居をし、心が崩壊し始めた私が実家に戻った時「寒くない?」、「食べられるものは?」と声掛けして励まされ…悪者にしなかった母の対応に心を救われました。
それ以来、寄り添った言動を心がけてます。
(心の持ちようは健常・障がい関係なく、人それぞれなので難しいところです)

これまで沢山の方に頂いた親切を返せるよう「困りがある人のためにできる何か」を考えていた時に聴覚に難のある方と出会い、コミュニケーションを取る手段として「手話」を選びました。
(要約筆記という手段もありますが、早く字を書くのが苦手なので諦めました)
視覚障がいの方と出会っていたら点字を学んでいたかもしれません。
他の障がいや病気もあります。

寄り添える心を持った人間であり続け、学び・吸収していくことが私にとっての生きがいになっていくと言っても過言ではないでしょう。

3月で手話奉仕員講座は修了予定ですが、学習歴は1年足らず。
講座で満足・終了することなく、奉仕員登録後も地域のろう者のために継続していきたいと思っています。

※お借りした画像の意味は「ありがとう」の動作です。

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