能登のお義父さんと故郷愛
こんにちは。おひさまの光が大好きなひなたです。
震災から6日。
今日はじめて能登のお義父さんの声が聞けました。
その日のうちに無事を知り、毎日みんなでTVの前でやきもきしながら、これ以上揺れないことを祈りながら、ただただニュースをみることしかできない日々。
幸い家は倒れなかったけれど、何せ高齢の一人暮らし。
携帯はまるで繋がらず、その後の様子は断片的に入るばかりだったけれど、固定電話も繋がって電気も復旧したとのこと。
スマホだけの時は、無駄な電池を使ってはいけないと、私が話すのは遠慮してたけれど。
とにかく元気な声を聞けてよかった。
まずは生きててくれてよかった。
お義父さんはいつだって、大丈夫だとしか言わない。
どんなにかびっくりして怖かったか。
まだ水も使えず、店にも何もなくて、家は破片だらけらしい。
掃除はしたけれど、と。
それでも、お義父さんは強い。
いやあ、すごく揺れたなあ!って。
お風呂にも入れなくて、寒くて、疲れたよね、と聞いても。
皆んなそうだもの、しかたないよ、って。
私にはそんな風に受け入れられる自信はない。
水もなんとか山水を確保して、米は蓄えで。
野菜は畑から抜いて。
みんなで分け合って。
生きてる。
強いな、お義父さん。
あんなに道もガタガタなのに、お墓が心配で見に行ったって。
親戚中で、動かないで、やめてって言っても。
その土地とその家を、お義父さんは全力で守っているんだよね。
ああ、お義父さんは、能登を心から愛してるんだな。
なんか泣きそうになる。
ご先祖さまから引き継いだ大切にしているものを、無事かどうか確認してまわっているお義父さん。
その姿が脳裏に浮かんで、泣きたいような、いや、お義父さんだよねって笑えるような。
お墓、守ってて土砂崩れに遭わないでよ。
数年前、体調を崩した時も。
田舎は出ないって言い張って。
介護もいらないと言い張って。
親族はみんなで困ったけど。
20年以上前に会った時から、ずっと頑固は変わらないけれど。
お義父さんには敵わないな。
そりゃそうだよね。
私たちみたいなひよっこに心配されるほど
柔じゃないんだよね。
私には、故郷と呼べるほどの場所がない。
と、思っていたけれど。
能登に、能登の人に笑顔が戻ってきますように。
個人も入れるようになったら必ずみんなで行くからね。
来なくていいと言っても行くからね。
お義父さんに比べたら、どうせ大したこともできないんだけど。
それまでは、用がなくても、何もできなくても。
電話をしよう。
今日は雪。
神様、どうか一人でも多くの方の命が繋がりますように。
茨城県から能登町に職員が派遣されるとのニュース。
心から安堵。
ありがとうございます。
お義父さん、もう少しの辛抱だからね。
どうか愛する故郷を奪われた人に、一刻も早く支援の手が届きますように。
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