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RADWIMPSの「3.11」を想う曲たちとそれらから想うこと。


今日はnoteを始めてから、ちょうど 1年らしい。
noteから1年記念のバッジをもらった。ありがとうございます。


そんな今日は RADWIMPSのことを。
ちょっと長いけど、読んでもらえると嬉しいです。

RADWIMPSは 東日本大震災の「3.11」の1年後から 曲を出している。

それらの曲は、より多くの人に聴いてもらうために
CDなどは出さずに、
YouTubeなどで聴くことができるようになっているのだけど、

普段からRADWIMPSが好きで、
音楽をかけるときは ほぼRADWIMPSというわたしが
この「3.11」を歌った曲たちは
わざわざ YouTubeから検索をかけてでも 聴きたくなる曲たちばかりだ。


洋次郎さんの声が すごく癒される曲たちばかりなのと、
制作の時のBGMにしていても、
ふと、その歌詞に心を揺さぶられることが多い。

最近でも、台風19号でたくさんの人が被災した。
「3.11」に限らず、これらの曲は
RADWIMPSを あまり聴かないひとにも
聴いてもらいたいな、と思う。


● 2012年 「白日」

震災の1年後に発表した曲。
「この気持ちは残さないと、と思った。ただただ自然なこととして」

渡しそびれたさよならは
誰に運んでもらえばいい
交わしかけの約束は
誰と果たしたらいい?
そもそもこの声はさ
ねぇどこに向かって歌えばいい?
全ての今までの
喜びが嘘になっても
戻らない君ならば
せめて出会えたこの
喜びを・・・。


● 2013年 「ブリキ」

「やっぱり自分たちにできること、したいことはこれしかないや」

「一年前から、どれだけのことが変わったんだろ。
たくさん変わったようで、何も変わってない気がする。
毎日を日々こなして、自分と世界を新しくしていくのは大事だけど、
この日くらいはただただ思いだす日でもいい気がする。

狂った世界にばんざい。
それでも愛すよーー。」

何かに理由つけては 
そう何かを思い出しては
君の記憶に向かってく
少しでも目を離したら主人のもとへ駆ける犬のように
僕の中かきまわしてる そこには居ないんだ
「ごめんね」 もう少ししたらね もしかしたらね
全てが幻だったのかもね
なんて笑える日が来るからね
そのままで その日まで したらまたね 
君の力で運命を決める日が来るからね
すべてその手 己のせいで
笑うのも痛むのも またね
ひとつひとつと思い出が降ってく
割れないようにどれも手を伸ばしてく
手に落ちるたびに焼けそうに痛むけど
これが僕らがこれから育てるはずだった
思い出の身代わりなの


● 2014年 「カイコ」

「今日であれから3年。もう3年。やっと3年。まだ3年。
何かを変えられるのは、今生きている人たちだと思う。
あの出来事に意味を与えられるのも。無かったことにするのも。
あんな痛みをともなって蒔かれた種なら、せっかくなら、ちゃんと咲かせたいと僕は思う。」

「遅々として進まない国の被災者、被災地への復興支援、仮設住宅で過ごす方たちへの生活保護対策には抗議します。今やるべきことをやってほしい。」

世界は疲れたって僕にはもう無理だって
宇宙の寂しさの方がマシと
その手を振りかざしてら
世界は疲れたってあとはもう壊れるだけ
親が子を殺める時の作法をお目に入れてあげましょう
1日くらいはあったかな
この世の誰一人泣かなかった日は
1日くらいはあったかな
この世の誰一人叫ばなかった日は

カイコの歌詞のメッセージは、実はよくわからないけど、
でも、曲とともに洋次郎さんが出したメッセージから
なかなか進まない復興に対してのもどかしさだったり、
理不尽で混乱した世界だったり、そういうものを伝えたかったのかな、と
わたしは 思っています。


● 2015年 「あいとわ」

「あれから4年が経ちました。
もう二度とあの日を思い出したくない人。
大切な人のことを忘れたくない人。
今でも大事な人の帰りを待つ人。
新しい生活に向かう人。
その間を行き来する人。
誰ひとり間違ってないし、自分だけが決めることのできる意志だと思う。
僕はどれだけ分かろうとしても分からないし、分かった気になんてなりたくない。
どれだけ手を伸ばしてもそっちにはいけないから、せめて自分の場所からあの日の出来事、眼に映る出来事と向き合い続けたいと思う。」

原発が吹き飛ぼうとも 少年が自爆しようとも
その横で僕ら愛を語り合う
もうすぐ滅ぶというのに 明日は晴れるというから
それじゃ「まぁいいか」と目覚ましをかける
そんな僕らの日々
君の涙を いっぱいにためたその
笑顔は何故にそれほど美しい
身の丈を 遥かに超える痛みの波
を浴びて それでもなお笑うからでしょ


● 2016年 「春灯」

「5年という月日の間に『復興』の度合いも地域により差が開いてきています。未だに福島第一原発の事故は収束していません。コントロールできていません。避難解除を受け、着々と街も整備され、前に動き出した地域がたくさんあります。一方でいまだ故郷に帰れない人がたくさんいます。仮設住宅に暮らしながら地元に帰る日を待つ人たちがいる一方、故郷に帰ることを諦め新しい場所での生活を始めている方もたくさんいます。震災の後遺症で亡くなる人もいまだにいます。
原発の必要性の有無、様々なことが言われ物事は複雑に語られていきます。ただ、あの震災と津波だけだったら、今ほど復興に差が生まれ、地元に帰ることを諦める人は少なかったはずです。立ち入りさえ制限される区域は存在しなかったのです。『フクシマ』という言葉の響きが、2011年3月11日以前のものに再びなるには、あと何年かかるのでしょうか。
心配すること、ただただ復興を願うことしか相変わらずできない自分なので、また曲を作りました。『春灯』と書いて「しゅんとう」と読みます。
ぜひ聴いてください。

来年以降も曲を作るかはわかりません。当たり前にやるかもしれません。ただ3月11日の、あの悲しみだけを切り取って一つの作品を作ることに少しずつ、違和感が生まれてきました。どの楽曲にも、含まれているように思うからです。逆にこの5年の間にも悲惨な事件、事故、大きな喜び、様々ありました。そしてそれらに常に影響されながら音楽を作っています。すべて混ざり合って「今」を生きている自分の音楽になっています。

あの大きすぎる体験を僕たちは忘れてはいけないと思います。次いつ来るかわからない大災害の被害を、少しでも食い止めることであの日の震災の意味を変えることができます。
 世の中を見回すと人災、天災問わず悲劇は次から次に起きているように思います。感情が追いつかないほどめまぐるしい世界です。くじけそうになります。でもだから気付かされる人間の底力もあります。なるべくなら、光に眼を向けたいです。手を取り合って生きたいです。
こんな世界にも、鳴る意味のある音をこれからも鳴らしていきたいです。」

逢いたい人がいるこの世界には
せめて僕が生きる意味が わずかでも あるかな
逢いたい人がいるこの世界に
今日も目覚める 僕はきっと 幸せですよ

この時に出した洋次郎さんのメッセージを全部ここに転載するには長いかな、と思ったのだけど
やっぱり読んで欲しくて、全部そのまま転載しています。
ぜひ読んでほしい。


● 2018年 「空窓」

「昨年、福島県立浪江高校は3月31日をもって休校しました。その最後の卒業生の生徒さん達から文章を受け取りました。今年はそれを元に歌詞を書きました。
 震災が起きた瞬間の気持ち、家族と離れる気持ち、残る人、離れる人、7年という時は10代にとってあまりにも大きな時間です。体験していない僕には想像することしかできません。できるだけその言葉から受け取った想いを、過不足なく音にのせようと思いました。ぜひ、聴いてください。」

あの時の僕らは何も分からず 親父が言うまま 家を出たんだ
2日か3日ですぐ帰れるものと ばかり思ってた あの日から7年
ケンカしたまま別れた友や 家を出たきり帰らぬ兄や
言えないままの ありがとう、ごめんが宙ぶらりんのまま今日まで来たよ

時が僕らを大きくするけど 時は僕らをあの場所から遠ざける
僕らの故郷は今でもさ  僕らを待っててくれてるだろうか
帰りたいかと聞かれても すぐ答えられない 僕がいるよ
帰りたいのは あの場所よりか  あの人とあの時に 帰りたいだけ
さよならをちゃんと 言える別れは 幸せなのかも なんて思ったよ


● 2019年 「夜の淵」

「東日本大震災から8年が経ちました。
そしてこの8年の間にまたいくつもの災害、悲劇がこの国を襲ってきました。
昨年は北海道、関西での地震、西日本での豪雨など例年以上に災害が多発した年でした。

昨年地震が起きた夜、停電で真っ暗な中SNSなどで恐怖と闘いながら朝を待つたくさんの声を受け取りました。あいも変わらず何もできない自分にもどかしさを感じながら、せめて子守唄に、ほんの少しの心の安らぎになったらいいなと思い今回の曲を作りました。そこにさらに歌詞を加え、編曲し、レコーディングしたものが今回の曲です。

普段の生活は不自由を味わった時にその幸せに気づきます。たった一つの電気が、あったかい部屋が、当たり前にそこにいる家族が、お風呂が、食事が、かけがえもなく幸せなことに気づきます。そんな小さいかもしれないひとつひとつのために僕たちは日々を生きているんだと実感します。

東日本大震災。今も数多く行方がわからない方がいます。そしてその帰りを待つ家族の方がいます。元の場所に帰れない方がいます。原発の修復、廃炉作業をするたくさんの方がいます。オリンピックももちろんいいけれど、なんだか色んなことに蓋をして、忘れてお祭りになるのだけは嫌だなと、思います。

8年が経ち、震災を知らない世代が増えていきます。残念だけど、きっと定期的に、どうしたって地震や災害は襲ってきます。僕たちの日常を奪っていきます。その度に、思いやって、思い合ってひとつになれる国であったらいいなと心から願っています」

何のため 生まれたのか
わからない 僕たちだけど
涙を流すためじゃ
ないことだけは たしかさ

それだけは たしかだ


わたしも、被災していないひとだけど
被災していないひとだからこそ、忘れちゃだめなことだと思う。

台風19号が異様な勢力だったのは「温暖化」が関係しているって
ニュースで言っていた。
温暖化って、わたしたちが作り上げて積み重ねてきたことだ。

「3.11」の原発もそうだけど、
台風19号も 天災のようで人災なのかもしれない。

被災していないわたしは、
そう憂いてばかりいても仕方ないから
できることから少しずつ前を向いていきたいと思う。

これらの曲を聴いて、
日々の生活の大切さや、
当たり前に使っているものが 地球にどう影響しているのか。
これらを考える機会にしていきたい。



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