見出し画像

lainのお父さん(と、わたしの父)について

 父親はいつ失ってもおかしくないのだ。



 注:この文章はアニメ版『serial experiments lain』終盤のネタバレを含みます。全話視聴後の閲覧をおすすめします。



この下はネタバレだぞ。




 どうも私はフィクションにおける父親というものに弱い。特に主人公に献身的な父親に。某カードゲーム作品の父親もツボに入り過ぎて、リアタイ時はいい意味でしんどかったのを覚えている。S2からは舞台が変わってお留守番しているのが少し寂しい。

 閑話休題。lainの話。

 アニメ版lainの最終話。玲音は自らの存在を世界から抹消し、「世界に遍在する存在」と化す。玲音に関わった者は誰も傷ついておらず、また死んでもいない、「大団円」の世界。その代わり「岩倉玲音」の存在を明確に記憶し認識している人は、世界を探してもどこにも居ない。孤独にむせび泣く玲音の前に現れたのは、彼女の父親。といってもリアルワールドの父親は彼女のことを覚えていない(最終話でその後を語られていないがどうなったんだろう。玲音の記憶を無意識で残しつつ幸せに暮らしてるといいなあ)。それどころか、彼女の「父親」は本当の父親ですらない。玲音の成長(進化)を見守るための「造られた家族」の構成員でしかなかった。玲音がリアルワールドでの存在を亡くした状況で出会った父親は、彼女が彼の記憶を基に作り出した、偽りの父親に過ぎない。それでも玲音は父親に再び会えたことに安堵し、ふたりきりで語らう。永遠に。

 このシーンで私は泣いた。吐くかと思うくらい泣いた。顔をくしゃくしゃに歪ませて泣いた。同居人が見ていたら多分その表情がおかしくて笑われていただろう。ひとりの部屋で観ていてよかった。本当に。

 理由を考察してみる。私-実父と、玲音-康男(玲音父)の関係と重ねているところがあるはないか。主に「父親はいつ失ってもおかしくない」という点において。

 実父には持病がある。といっても心臓系の病気というだけで詳しくは知らない。実の父親なのに知らないのかよと言われそうだが本人が語りたがらないのだから仕方ない。時々電極パッドのようなものを着けながら自宅でデスクワークをしているのを見かける程度だ。自室でひとりPCに向かう時間が長いのは康男に似ているかもしれない。

 大学入学直前、学生保険の相談をしていたとき。扶養者死亡時に保険金が降りるオプションを付けるか否か、という話題。「おれいつ死ぬか分からないから付けよう」と父が言った。あっさりと、当たり前のことのように。多分本人にとっては「10年後生きているか分からない」は当然のことなのだろうけれども。「ああ、うちの父親っていつか死ぬんだ」と感じたのを覚えている。驚きも戸惑いも伴わない、冷淡な感慨だった。

 家族との関係は人によって異なるだろうが、少なくとも私は父親のことが好きだ。大好きだ。人目を憚らずあえて言ってしまおう。私は父親のことが大好きだ。ファザコンだと嘲笑されても構わない。

 小学生の頃、父が出張で1週間ほど家に居ないことがあった。職業柄出張は珍しくないが、多くは1日程度で、私が知ってる限りでこれほどの長期出張はこの一度きり。水戸から帰ってきた父は納豆味のうまい棒(のようなもの)をお土産に買ってきた。私は出張期間中、父親に会えず寂しいと思った。だからなのか、納豆味の偽うまい棒はひときわ美味しかったのを覚えている。父親が大好きになったきっかけはおそらくこの出来事だと思う。あるいはそれが原因でこじらせたのか。

 大学生になり、故郷を離れて生活するようになってから、父には世話になりっぱなしだ。精神的に落ち込んだ時に電話をかけてきたり、ほぼ毎朝実家の猫写真を送ってきたり。ふたりきりの車内で私に静かに激励したり。不器用な人だなあといつも思うが、私も学業と創作に全力で打ち込んだり、本人の見ていないところで文章にまとめたり、そういった形でしか感謝を伝えられていないので人のことは言えない。まだ面と向かって「いつもありがとう」、と言う勇気は湧かない。どうしても気恥ずかしさが勝ってしまう。
 いつか創作活動での成果を報告出来たら嬉しいな。出来るならリアルワールドで会えなくなる前に。

 それだけ。