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第16話「『やめろ!俺の頭から出て行きやがれ!狂気め!』」(批評篇・2) 西尾維新を読むことのホラーとサスペンス、ニンジャスレイヤー、そして批評家の立場と姿勢の話


前回はこちら。

(ご注意・本稿では西尾維新『掟上今日子の備忘録』『掟上今日子の推薦文』『悲録伝』のネタバレを含みます。閲覧の際にはあらかじめご了承ください。尚、表紙画像と本文は一切関係ありません。その下の埋め込みツイートはイメージです。また、登場人物や組織の実名は伏せられている場合があります。そして、明かしづらい内容は不明瞭な表現となっている場合があります)


(これまでのあらすじ・男は語る。ある人物の陰謀が、巻き込まれた者によって文化的営為へと昇華されていく姿と、その渦中、彼自身に生じた異変とを)

自らが個人的に体験した一般的にはローカルで知られようもない出来事が、多作で知られる人気作家の作品群に悉くアレンジされ練り込まれ、そのような事態を想像するきっかけすらない大方の無関係な読者の目に触れながら、今自分の目の前にある。これまでもあった。これからもあるのではないか……。そのような心理状態に置かれる事は意味不明な一種の恐怖、不気味さによるストレスが強い。

西尾維新『本題』(2014年9月)は対談集であり、記憶では辻村深月との対談部分で「最近新しい事を始めた(小説で新しい試みをしている)」というような発言があったのだが、それがステルスリアクションであろうと思われる。そしてそれは、無名の批評家志望者からすれば名状しがたい異様な体験なのである。しかしそれでも、僕は西尾の小説を読む事それ自体を放棄するなど考えられなかった。それがいずれ狂気へと至る道だと知らずに。

『掟上今日子の備忘録』(2014年10月)では「夜更かしは美容の大敵」(睡魔)、「悪魔の証明」(パクリ)、「一億円は支払いました、だけど百万円は戻りませんでした」「更に一億円寄越せ、とか。延々、搾り取られることになるかもしれない」(不審な対応)、「感動的な戦いの裏で、歴史の謎が紐解かれていく」(今まさに僕が記述しているこの記事を予言)、「犯人は静かに去り、作創社では仕事ができなくはなるだろうが、裁きはその程度」「『単なる憂さ晴らしで、百万円も一億円も返すつもりだった』」「疑わしい」(「過渡期の人」{仮称}を示す)、「何だって、同時に相反するふたつの説を証明する証拠になりうるのだ」(視座の差による証言、見解の相違)、「眠さの限界にある人を、延々起こし続ける」「睡眠不足はこうも、人から正気を奪うのか」(睡魔)など、随所に件の出来事や関連事項を元にアレンジした表現がストーリーの構成部分に採用され、その物語制作手法そのものに言及、読解の手引きまで包含している。

今になって当時のメモ再読しながら思うのだが「戦えている」「脇役に、期せずして見せ場が回ってきたようで」という語り部、隠館厄介(かくしだて・やくすけ)の語りは、もしやあの一連の出来事に措いて自分は脇役でしかなかった、と認識している西尾本人の意識でもありうるのかもしれない。しかし一方で「読者の目に留まることなく人生を送っていた? 目立つことなく、誰にも気づかれず――脇役として?」という記述もあり、これが僕の経験した過程を示すものでもあるため、全体として結合しているニュアンスを適切に切断し採取し検査し確定する事は困難であろう(この観点を補強する材料もメモにはあるのだが、あまりに引用ばかりでは不都合がある為避けるとする)。






(註・埋め込みツイートは内容と全く関係ないが、バストが豊満である)




『備忘録』の中で「脇役として、平凡でつつましい人生を」「当然のように幸せにしていることが、衝撃的でさえあった」と語られているのは、西尾から見た僕の印象なのかもしれない。基本的にちゃらんぽらんな所が抜けないのは自身でも閉口を余儀なくされる事もしばしばある点なのだが、察するにネットや伝聞による情報の総合としての印象であろう。まとめとしては、あとがきにある「相変わらず原点に回帰したんだか新境地に踏み出したんだかよくわからない内容」「自分的には物語シリーズや伝説シリーズを書いたあとだからこそ書けた推理小説なのではなかろうか」「守秘義務を絶対順守できる」という内容が、こうした西尾維新に関する推察、西尾の小説に関する推測と分析に信憑性を付与するだろう、といったところだろうか。

以上は読了時(2015年3月)の記録。未だ危機感も切迫感も希薄で、精神的疲労の影もさほどでない様子が窺える。

『悲録伝』(2015年2月)を紐解いていた頃(2015年6~7月)、僕はどうやら詳細に記録し続けると他の活動に支障をきたすという事を失念してステルスリアクションをある程度詳細に記してしまっているのだが、本稿で提示するのは「あなたは、爆弾のような人です」「タイムリミットのある。時限爆弾のような」、「どんな条件でも生理的に拒否されるのが当然」「第一印象がすべて」「騙したことを気にしていない様子」、「餡子の入ったお餅のように甘い見込み」「相手は選ばなければならない」、「共感は『共に感じる』」「一方的にできるものじゃあない」、「目の当たりにしたすべてのことを『なかったこと』にでもできるんじゃないかと、そこに一縷の望みをかけているような、切実な狂気」、「外部に異変が伝わらないだけでなく、外からは普段通りの、日常の風景が観測できる、というようなものであるべき」、以上で十分だろう(「スパイダーマン」や「SF」、「アート」など少々趣の異なる内容は「ステルスリアクション・エクストラ」に譲る)。

『掟上今日子の推薦文』(2015年4月)では、過渡期の人(地雷)と僕の特徴の合成が進み、どうやら両者の仲を取り持とうという西尾の意思を観取できた(掟上と和久井の対面が叶わなかった事が惜しい、という記述があったように思う)。が、後にこの傾向が鳴りを潜め、過渡期の人(地雷)の特徴がキャラクターの欠点や弱点を、僕の特徴が利点や美点として(デフォルメ、アレンジ、カスタマイズが施されているにせよ)選択的に割り当てられるようになる為、西尾と過渡期の人(地雷)の間にそれなりの期間継続的なコミュニケーションがあったのではないかと推測できる。その際の話題、過渡期の人(地雷)の応対は推して知るべし。

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以上は2015年1月と7月の僕のツイート。「二億円」とは過大評価されていた過渡期の人(地雷)を発想の源泉として『推薦文』に使用された「二百万円に価値が下落する絵画」のかつての評価額。この時西尾は僕側からの観点を知るはずもなく、過渡期の人(地雷)から「適切に」歪曲された報告を受けるのみであったろうから、そうした事情を察しながらも、しかし僕自身の葛藤や反発心は如何ともし難く、結局同作に対して具体的にコメントする事ができなかった。




(註・埋め込みツイートはイメージです)


(第17話に続く)

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