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大峰山にある前鬼村

役小角が大峰山にいたとき
二鬼と出会いました。

咒念のご利益をもって
彼等を人に変身させました。

夫の名前は「赤眼」
妻の名前は「黄口」といいます。

五つの子供を産みました。

「鬼一」「鬼次」「鬼助」
「鬼虎」「鬼彦」と名づけました。


彼らは、箕面山に住んでました。

いく千人もの人を殺しました。

小角は方便を使って(真の道に導くため)
二鬼が最も愛していた鬼彦を隠しました。

二鬼はたちたち驚いて
上は天井にも昇り
下はあの世の黄泉の国にも行き
宇宙までもくまなく探しました。

ついにその居場所が分からなかった。

そこで最後に、小角にところへ行き
地に頭をすりつけて礼拝して言った。

『我らは子を失って、ついに帰ってこない。どうか小角尊者のご慈悲で居場所を教えて下さい。』

小角は『汝らが我が言葉に従うならば愛する子を与えよう』と言った。

二鬼は『もし子が帰ってくるなら仰せの通りに従います。』と言った。

小角は人殺しをするな、と叱った。
すると彼らは顔色を変えて、我らは何を食えばよろしいかと問うので、小角は野獣や鳥を食えと言った。

すると二鬼は、この山に久しく住んでいたが獣類はみな遠くへ去っていなくなった。それ故に人を食うと白状した。

小角は、それでは栗を食って飢えをしのげ。
かならず約束を守れと命じた。

その時、不動明王と号する一仏が現れた。

『我は、汝らが人を悩ますように、悪魔を降伏させる。もし我が言葉にそむくと、必ず汝らを害する』と告げて鬼彦を二鬼に授けた。

二鬼は、涙を流して悲しみ、泣きながら申し出た。『尊者様は、誠に広大なご慈悲のお方である。どうか我らを済度(迷い苦しんでる人を救う)してください』とお願いした。悪い害心を反省して、師としてお仕えしたいと願った。

小角は、『善かな、善かな。汝らは常にこれを唱えて怠けてはいけない。我が身をみて菩薩の心を発する四句の喝を授けよう』と言われた。

二鬼は常にこの喝を唱えて、永久に人間になることができた。

小角は、箕面山を改めて、釈迦岳と名付けた。

二鬼は名を改めて
夫は「前鬼」妻は「五(後)鬼」といった。


しかしながら行者は、前鬼五鬼というのは
生死をあらわすといわれた。

前鬼というのは、進むこと生である。
五(後)鬼とは、死であり滅である。

鬼は屈であり色味が消滅しているのを鬼という。

人は生まれて日は往き月来たり
年々人は同じからずして、色味が変わる。

これ日すでに過ぎて、また命も衰滅す。

生まれて住みて異を滅す。

これみな無常の殺鬼である。

五は、五根五形である。
色相、日に衰え、身相、年々変わる。
これ肉身を食う鬼なり。

前鬼五鬼とは、生死、出入、衰退、盛衰、屈伸をあらわす。四蛇・五鬼・八龍は、体が異なっても人を悩まし害する所以は、ひとつで同じである。



以上の小角の伝記は
「修験心鑑鈔 巻下」を参考にしたものです。

寛文12年に出版されました。
江戸時代前期ですね。

如雲斎が亡くなって10年後くらいか‥、
その息子、柳生厳包こと連也斎が69歳のときか。カムイは50歳くらいなのかな。


ぷるぷる՞・֊・՞




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